浜崎ヒカルのブログ推理小説

ブログを利用して推理小説を書いています。 鉄道ミステリーが中心になります。

 午後4時頃、高野内と園町は、覆面車で池袋へ向かっていた。
 神田駅のトイレで殺害された岩沢雅昭の探偵事務所へ行くためである。
 出発前、岩沢の事務所の所在地は、分駐所のパソコンで調べていた。
 すると、玉森が言っていたとおり、池袋のある雑居ビルに事務所があることがわかった。
 午後5時過ぎ、覆面車は、岩沢の探偵事務所が入っているビルの前に到着した。
 ビルの前には駐車場はないので、近くの有料駐車場に覆面車を止めて降りると、岩沢の探偵事務所へ向かって歩いた。
 高野内たちは、ビルに入ると、エレベーターで探偵事務所の入口へ行った。
 しかし、入口のドアは施錠されていた。
 そこで、スマートフォンでビルの管理会社に電話をかけて、担当の係員に来てもらって、ドアのカギを解錠してもらったので、探偵事務所に入ったときには6時近くになっていた。
 解錠してもらうと、係員に礼を言ってから、ドアを開けて中に入った。
 事務所内は暗かったので、灯りをつけた。
 入ってすぐの場所にソファと応接テーブルが置かれていて、奥には事務机があるのが見えた。
 その事務机には、固定電話やデスクトップのパソコンなどが置かれている。
 壁のほうに目を向けると、大きなカレンダーが掛けられている。
 カレンダーは、23年3月だった。
「特に、妙なところはありませんね」
 と、園町は、室内の至るところを見ながら言った。
 そのとき、高野内は、カレンダーに目を向けながら、
「『神』って、何だろう?」
 と言った。
「何か気になることがあるのですか?」
 と、園町が言うと、
「カレンダーの27日のところに書かれているのが気になるんだよ」
 と、高野内は、はっきりとした口調で言った。
 カレンダーの27日を表す文字のすぐ下には、『PM10時 神』と、手書きの文字が書かれている。
「なるほど」
 と、園町は言ったあと、
「昨夜の10時は、岩沢雅昭が殺害された時刻に近いですね!」
 と、高野内のほうを向いて、やや大きな声で言った。
「そうだろう。それで、『神』という文字は何だと思う?」
 と、高野内が言うと、園町は、
「神田駅でしょうか?」
 と言った。
 すると、高野内は、
「神田駅のことかもしれないし、違うかもしれない」
 と、少し自信なさそうに言ったあと、
「『神』の字一文字だけでは、神田駅だとは断定できないよ。神社という意味で書いたのかもしれないし、人名の一文字を書いたのかもしれないし」
 と、迷ったような言い方をした。
「ほかに捜査の手掛かりになるようなものはないかな」
 と、高野内は言いながら、園町と一緒に、事務所内を調べた。
 しかし、特にこれといった手掛かりになりそうなものは見つからなかった。
 そのようなものは、既に、本庁の捜査員が押さえて、持ち帰ったのだろう。
 高野内と園町は、事務所内をスマートフォンのカメラで撮影し、管理会社の係員に施錠してもらったあと、覆面車で東京駅分駐所に戻った。
 そのときは、夜の10時を過ぎていた。
 高野内と園町は、それから少し経つと、退勤した。

 3月28日の午後2時頃、鉄道警察隊の高野内と園町は、東京駅構内のパトロールを終えて、東京駅分駐所に戻った。
 分駐所には、香山照之(カヤマ・テルユキ)警部がいた。
 香山は、57歳の男で、約2年前に、警部に昇進し、東京駅分駐所に異動してきた。
「警部、今回は特に異常はありませんでした」
 と、高野内が言うと、
「そうか。ご苦労さん」
 と、香山警部は言ったあと、
「高野内君、園町君、昨日の神田駅の件は何か進展しているかね?」
 と、鋭い眼で、高野内たちのほうを向いて言った。
「被害者は、岩沢雅昭という名前で、年齢は43歳ということはわかりましたが、職業などについては、本庁の捜査員が調べてみると言っていました」
 と、高野内は答えた。
 すると、香山警部は、
「それは、俺も聞いているが、ホシは、どういう理由で殺害したと、高野内君は見ているのかね?」
 と言った。
「被害者の所持品には15万円ほど入った財布が残っていましたから、物盗りではないと思います」
 高野内は、はっきりとした口調で答えた。
「そうか。ところで、3時頃、本庁から岡田警視と玉森警部が来るそうだ」
 と、香山警部が言うと、
「そうなのですか」
 と、高野内は、少し驚いたような声で言ったあと、
「昨日の事件のことで、何か聞くことができそうですね」

 午後3時頃、東京駅分駐所に、警視庁捜査一課の岡田警視と玉森警部が来た。
 そのとき、分駐所にいた香山警部、高野内、園町、それに、鉄道警察隊員の豊川真帆(トヨカワ・マホ)、米村涼子(ヨネムラ・リョウコ)、鶴尾剛士(ツルオ・タケシ)、桜田奈々美(サクラダ・ナナミ)の7人は、岡田たちに敬礼した。
 真帆は、55歳の女性隊員で、階級は警部補である。
 約5年前に、東京駅分駐所に異動してきた。
 涼子は、47歳の巡査長で、以前は警察署の刑事課にいたが、3年前に鉄道警察隊に異動してきた。
 鶴尾と奈々美は、東京駅分駐所勤務となって、かなり経つ。
 鶴尾は46歳、奈々美は30歳である。
 鶴尾、奈々美とも、鉄道警察隊に配属当初は、制服での巡回が多かったが、最近は、私服での捜査を担当することが多い。
「昨夜の神田駅での殺人事件のことだが、被害者の岩沢雅昭について、少しずつわかってきたよ」
 と、岡田警視は言った。
 それに続いて、玉森が、
「岩沢雅昭の住所は、東京都豊島区長崎で、職業は私立探偵」
 と、読み上げるような口調で言った。
「私立探偵ですか」
 と、真帆が確認するような言い方をすると、
「そうです。事務所の所在地も豊島区で、池袋の雑居ビルに事務所を構えています」
 と、玉森は言った。
「被害者は探偵ということは、何かを依頼されて調査中にトラブルに巻き込まれた可能性があるのでしょうか?」
 と、高野内が言うと、
「まだ何ともはっきりとしたことは言えないが、その可能性も視野に入れているよ」
 と、玉森は答えたあと、
「死亡推定時刻は、遺体の状況や駅利用者などの証言から、昨夜の10時過ぎだよ」
 と言った。
 それに続いて、今度は岡田が、
「高野内さんは、被害者の岩沢雅昭はどうして殺害されたと思っているのかな?」
 と、高野内の顔をじっと見ながら言った。
「それは、これから捜査を進めて調べていかないとわかりませんが、被害者の所持品に現金が入った財布が残っていたことから、物盗りではないと思います。ですから、被害者が誰かに恨まれていた可能性や、探偵の業務中に、何かのトラブルに巻き込まれた可能性を調べてみたいのですが」
 と、高野内は答えた。
「私も同じ意見だよ」
 と、岡田は言った。
 今度は、園町が、
「岡田警視、被害者は、私立探偵ですよね」
 と、やや大きな声で言うと、岡田は、
「そうだけど」
 と言った。
 すると、園町は、
「被害者が、調査中だった案件や、最近まで調査をしていたことの内容が知りたいですね」
 と、はっきりとした口調で言った。
「我々も、それを調べているところだよ」
 と、岡田は言った。
「殺された岩沢について、我々鉄警隊も、詳しく知りたいですね」
 と、高野内が言うと、
「それについては、捜査一課が調べるから、また何かわかったときや、協力をお願いするときに知らせるよ」
 と、岡田は言ったあと、
「では、我々は、ほかの殺人事件の捜査もあって忙しいから、いったん、本庁へ戻るよ」
 と言いながら、玉森と一緒に、分駐所から出ていった。
 それから、少し経ったとき、
「あまり詳しくは聞けなかったわね」
 と、真帆が不満そうな顔で言うと、高野内は、
「そうですね」
 と言ったあと、
「そうなると、俺たちで調べてみたくなりますね」
 それを聞いた香山警部は、
「高野内君、気持ちはわかるが、勝手なことや無茶なことはやめてくれ!」
 と、やや大きな声で言った。
「警部、私は、被害者の岩沢が、どうして、神田駅のトイレで殺害されたのか、真相を明らかにしたいのです。そのためには、その被害者に関することを調べ上げる必要があります」
 と、高野内は言った。
 それに続いて、園町は、
「被害者は私立探偵ですから、どのようなことを調査していたかも知りたいですね」
 と言った。
 すると、香山警部は、仕方ないと言わんばかりに、
「わかった。ただし、本庁とかから抗議が来るようなことはするなよ」
 と言った。

 3月28日の昼の12時半頃を過ぎた頃、1台の覆面パトカーが、サイレンを鳴らしながら、和歌山県警本部から出発した。
 和歌山市街地の和歌山城近くにある県警本部から出た覆面パトカーは、国道42号線、国道26号線を北上し、一級河川の紀ノ川の少し手前の交差点を右折し、国道24号線を東へ進んだ。
 覆面パトカーには、和歌山県警捜査一課の玉置和紀(タマキ・カズノリ)警部と、玉置の部下で巡査部長の雑賀(サイカ)刑事が乗っていた。
 運転していたのは、雑賀である。
 玉置は50歳で、捜査一課配属になって10年近く経つ。
 雑賀は43歳で、昨年の春に、捜査一課配属になった。
 玉置と雑賀の2人は、和歌山線の列車で、乗客が死亡しているという、JRからの通報を受けて、その列車が止まっている下井阪駅に向かって急行していた。
 なぜなら、殺人の可能性も否定できないからである。
 雑賀が運転していた覆面パトカーは、国道24号線をしばらく東へ走り、午後1時より少し前に、下井阪駅前に到着した。
 小さな駅の前には、既に多数のパトカーが赤灯を点けて止まっていて、駅の入口には規制線が張られていた。
 玉置と雑賀は、覆面パトカーから降りると、駅の入口に立っていた制服の警察官に警察手帳を見せて、駅のホームに入った。
 下井阪駅は、駅舎はなく、ホームが1本だけの無人駅である。
 そのホームの横には、2両編成の電車が止まっていた。
 行き先は王寺だった。
 玉置と雑賀は、先頭の車両のドアから車内に入った。
 車内には、乗客のほか、機動捜査隊の刑事、所轄である岩出中央警察署の制服警察官、鑑識員、所轄の刑事課の刑事などがいた。
「ご苦労さん」
 と、玉置は、車内にいた警察官たちに一声かけて、
「そのホトケさんの身元はわかったのか?」
 と、所轄の刑事に聞いた。
 20代後半くらいに見える若い男性刑事は、
「所持していた身分証明書などから、被害者は、東京都世田谷区に住む高沢レナ(タカザワ・レナ)さんのようです」
 と答えた。
「えっ、タカザワ・レナさん?」
 と、雑賀は、驚いたような声を出した。
 すると、玉置は、
「雑賀君、知っとるのか?」
 と聞いた。
「警部、ご存じないのですか? 今、人気上昇中のタレントですよ。息子がすっかり大ファンになりましたね」
 と、雑賀は答えた。
「俺は、最近の若い芸能人には疎くてな」
 と、玉置は苦笑いしたあと、
「まさか、和歌山線で若いタレントのご遺体に対面するとか思わんかったな」
 と言った。
「それで、高沢レナは、この電車に一人で乗っていたのか?」
 と、所轄の刑事に聞くと、
「ほかの乗客の証言から、そのようです」
 と、若い刑事は答えた。
「その被害者の死因は何やね?」
 と、今度は、玉置が聞いた。
「遺体を調べてみないと、詳しくはわかりませんが、青酸死と思われます」
 と、所轄の刑事は答えた。
「で、そのホトケさんが亡くなっとるのに、最初に気づいたのはどなたやろか?」
 と、玉置が聞くと、所轄の刑事は、
「谷崎恵美子(タニサキ・エミコ)さんとゆう、57歳の女性の乗客です」
 と言いながら、中年過ぎに見える女性のほうへ目を向けた。
 玉置は、その女性に近づきながら、
「あなたが、その女性が亡くなっとるのに、最初に気づいたのですね」
 と、入念そうに聞くと、
「そうです」
 と、恵美子は答えたあと、
「その方は、私の右隣に座っていたのですが、この電車が岩出駅を出たあと、私に寄りかかってきて、そのあと崩れるように床に倒れていったのです」
 と、説明するように言った。
「それで、そのあと運転士に知らせたのですね?」
 と、玉置が念入りに聞くと、恵美子は、
「そうです。顔色が変わっていたし、息しとるようにも見えなかったのです」
 と言った。
「それで、谷崎さんは、どちらまでこの電車に乗る予定やったのですか?」
 と、玉置が聞くと、恵美子は、
「それは、ほかの刑事さんにも言いましたけど、粉河までですわ。粉河駅で紀の川市に住んでる友達と会って、粉河寺へ桜を見に行く予定でした」
 と、やや不快そうな顔で答えた。
 ほかの警察官からも、何度も似たような質問をされたのだろう。
 玉置は、所轄の若い刑事に、
「谷崎さんは、この電車には、どの駅から乗られたのかな?」
 と聞いた。
「和歌山駅からだそうです。ちなみに、お住まいも和歌山市ですね」
 と、所轄の刑事は答えた。
「で、被害者の高沢レナは、どうゆう理由で、この電車に乗ってたんやろうか?」
 と、玉置が言うと、
「被害者の所持品から、西国三十三箇所の巡礼かもしれませんね」
 と、所轄の刑事は言いながら、手袋をはめた手で、レナのものと思われるハンドバッグを持って、玉置に見せた。
 玉置も、手袋をはめてハンドバッグを開いて、中身を確認した。
 ハンドバッグの中には、西国三十三箇所巡礼の納経帳が入っていた。
 その納経帳を開くと、第一番札所である那智山・青岸渡寺の御朱印と、第二番札所の紀三井山・金剛宝寺(紀三井寺)の御朱印を受けていたことも、確認できた。
 御朱印の横には、受けた日付も墨で書かれていて、青岸渡寺の御朱印は23年3月27日、金剛宝寺の御朱印は23年3月28日のものだった。
「ホトケさん、昨日は那智山行って、今日はこの電車に乗る前に、紀三井寺へ行ってたようやな」
 と、玉置は言った。
 ほかには、財布や自宅のものと思われるカギ、スマートフォン、芸能プロダクションの身分証明書、化粧品数点、コインロッカーのカギなどがあった。
 財布には、キャッシュカードやクレジットカードのほか、現金が8万円あまり入っていた。
 また、ハンドバッグには、JRの乗車券もなども入っていて、改札印の入った和歌山から420円の乗車券のほか、未使用の粉河から東京までの乗車券と、特急『くろしお24号』の和歌山から新大阪までの特急券、新幹線『のぞみ434号』の新大阪から東京までの特急券があった。
 所持していた乗車券や特急券は、いずれも3月28日の日付のものだった。
 特急券は、普通車指定席のものである。
「高沢レナは、粉河寺に行ったあと、この和歌山線で和歌山駅まで引き返して、今日の特急『くろしお』と新幹線『のぞみ』で東京へ帰る予定だったんやな」
 と、玉置は、乗車券や特急券を見ながら言った。
 それから間もなく、機動捜査隊の刑事の一人が、玉置の前に来て、
「乗客たちが、いつまでここで足止めしているんだと怒っています」
 と言った。
「この電車の乗客の住所や氏名は確認したのか?」
 と、玉置が言うと、
「はい。今、この電車内にいる乗客については、全員確認しました。所持品検査にも協力してもらいましたが、不審なものは見つかっていません」
 と、機動捜査隊の刑事は答えた。
 それから少し経つと、平岡という、50代後半くらいにみえる運転士の男性が、玉置のそばに来た。
 平岡運転士は、困惑した顔で、
「刑事さん、いつまで、ここに停車してたらいいんですか。いつまでもこの駅に止まったままやと、後続列車だけやなく、対向列車も走れへんのですよ」
 と言った。
 和歌山線は単線で、下井阪駅は、すれ違いや追い抜きができない駅である。
「わかりました。これから、被害者の遺体と所持品を、所轄の岩出中央署へ運びます。運転士さんは、この電車を次の打田駅まで走らせて、乗客たちを降ろして、別の電車に乗り換えてもらってください」
 と、玉置は言った。
「そのあと、私は、どうしたらいいんですか?」
 と、平岡運転士が言うと、
「乗客を降ろしたあと、車庫へ回送してもらいたいのですが」
 と、玉置は答えた。
 そして、高沢レナの遺体は、担架にのせられて、ワンボックス型の警察車両で、岩出中央警察署へ運ばれた。
 そのあと、2両編成の列車は、次の打田駅へ向かって、ゆっくりと動き出した。
 玉置と雑賀も、覆面パトカーに戻り、岩出中央署へ向かった。

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