浜崎ヒカルのブログ推理小説

ブログを利用して推理小説を書いています。 鉄道ミステリーが中心になります。

2007年06月

 野崎と呼ばれた男の身体が、ソファから床に崩れ落ちていた。
 もう息もなかった。
「これは、死後10時間、いや、もっと経っているな」
 近藤は、死体を観察しながら言った。
 テーブルには、ブランデーとグラスが置いてあった。
 高野内は、あまり酒の銘柄には詳しくないが、かなり高級そうに見えるブランデーだった。
「鑑識を呼んで、調べてもらいましょうか」
 と、高野内が言うと、
「そうじゃな。死体の状況から、毒死だと思うけえ。ひょっとしたら、そのブランデー、毒が入ってーかもしれん」
 と、近藤。
 そして、近藤は、無線機で、鑑識などを呼ぶことにした。
 そのとき、高野内の携帯電話が鳴った。
「はい。もしもし」
 と、高野内が出ると、
「高野内君、捜査の進展はどうだ?」
 と、聞き覚えのある男の声がした。それは、田村警部の声だった。
「すいません。鴨井圭殺人の手がかりになりそうな人物に当たろうとしたら、次々と殺されまして…」
「黒幕が先手を打って、口封じに殺したのだな」
「だと思います」
「ところで、鴨井圭だが、大阪府警に調べてもらった結果、かなり悪いことしていたという情報を得た」
「悪いことといいますと?」
「依頼人からの調査対象となっている人物や企業の経営者を、ゆすっていたそうだよ。依頼人の誰々に知らせてほしくなければ、金をよこせと」
「かなり卑劣でタチが悪いですね」
「ああ。そうやって得た金で、奢侈生活を送っていたらしいよ」
「じゃあ、鴨井は、そうやって、黒幕をゆすって、殺された可能性が高そうですね」
「そうだな。で、黒幕は、西住グループの経営陣の西住親子の可能性が高いそうだな」
「はい。岡山でも、佐田警視に会いまして、一緒に捜査をしていますが、警視から話を聞いています。でも、逮捕するには、証拠不足でして」
「そうか。まあ、西住は、一筋縄ではいかないと思うぞ。それに、奴らは、暴力団にも顔が利くから、気をつけてくれ」
「はい。その暴力団のうち、谷合という男が殺されました。奴は、連行中の容疑者を乗せた覆面パトカーを、ダンプで跳ね飛ばして殺害した容疑がかかっていたのですが、多分、口封じに消されたのだと思います。情けないことに、やられっぱなしです」
「高野内君が悪いんじゃない。事件が起きている以上、解決への道はあるはずだ。俺は、君たちを信じているよ。俺たちも、引き続き、東京で捜査を続ける」
「わかりました。それでは、失礼します」
 そして、高野内は、電話を切り、園町や窈子、江波に、
「警部から電話があった」
 と言ったあと、電話の内容を説明した。
 それから数分後、地域課の制服警官や鑑識課員が、やってきた。
 野崎の遺体は、担架で運ばれた。これから、解剖に回すという。
 妹尾は、高野内たちや、真由子、近藤たちに、
「これから、俺と難波君が、近所に、聞き込みをするけえ、みなさんは、県警本部へ戻ってください」
 と言った。
 そして、鑑識員に、
「グラスや酒とか、毒がないかどうかも調べてくれ!」
 鑑識員の1人が、
「わかりました」
 と、返事をすると、難波のほうを向き、
「難波君、近所へ聞き込みするぞ」
 と言いながら、玄関を出た。
 高野内、園町、窈子、江波、真由子、近藤、真野は、覆面車で、岡山県警本部へ戻ることにした。

 県警本部に着くと、高野内は、
「今までの事件や、さっきまで起きた事件について、わかっている事実をまとめてみませんか? そうすれば、何か捜査を進めるための手がかりが見つかると思うのですが」
 と言った。
「そうですね。15年前の事件から、急行『きたぐに』のトイレで、平山車掌が殺された事件、『サンライズ瀬戸』の個室寝台で、鴨井圭が殺された件、寺山、荻田、谷合が殺された件まで、全部ですね」
 と、園町。
 それを聞いた近藤は、
「そうじゃのう。さっきの野崎さんが殺された件は、犯人は、15年前のことー真相を口外されたらおえんと思うて、毒入りのブランデー飲ませたんと、わしゃー思うけえのう」
 真由子は、
「そうね。じゃあ、高野内さんの言うとおりにして、手がかりを探しましょ」
 と、冷静な口調で言った。
 今まで起きた事件で知った事実から、解決へ向けた手がかりは見つかるのだろうか。

 谷合が遺体で発見されたという知らせを受けて、高野内たちと、真由子、妹尾、難波、近藤、真野は、覆面パトカーで、現場に向かうことにした。
 高野内と園町は、妹尾運転の覆面車に、窈子、江波、真由子は、難波運転の覆面車に乗った。近藤と真野は、赤磐南署の覆面車で向かうことにした。
 3台の覆面パトカーは、旭川の端を渡ると、南下し、国道2号線バイパスに入ると、東へ向かった。
 もう日が暮れて、暗くなっていた。
 覆面パトカーは、途中で、岡山ブルーラインに入り、しばらく走り、下の県道へ下りると、山へ越えて、しばらく東へ向かって走っていた。
 そして、岡山市から瀬戸内市に入って間もない箇所で、分岐する道へ曲がり、少し走ると、前方に赤色灯が見えた。
「あそこが現場だな」
 と、妹尾は、言った。
 パトカーや覆面パトカーなどが4台ほど、止まっていた。
 所轄の瀬戸内南署の車だろう。

 3台の覆面パトカーは、既に停止している警察車両の後方に停止した。
 その場所は、山の中で、道路以外は、雑木林だった。
「ご苦労様です」
 と、妹尾は、制服警官の1人に、警察手帳を見せた。
「ここの雑木林の中から、遺体で発見されました。発見者は、付近を散歩していた人です」
 妹尾、難波、高野内たち、真由子、近藤、真野は、警察官のあとをついて、中へ入った。
 少し中に入ったところに、大柄な男が横になっていた。
 所轄の署の刑事や鑑識員が、遺体やその周辺を調べているが、真っ暗なので、懐中電灯を持っていた。
「ご苦労様です。県警捜査一課の妹尾です」
 と、所轄の刑事に警察手帳を見せた。
 中年過ぎの所轄の刑事は、
「所持していた免許証から、谷合正生、28歳とわかりました。殺害方法は、絞殺です。死亡推定時刻は、調べてみないとはっきりとはいえませんが、まだ2時間も経っていないものと思われます」
 と言った。
 時計を見ると、7時過ぎである。
「荻田勲を連行していた覆面パトカーを跳ね飛ばしたダンプも、発見されたと聞いているのですが」
 と、妹尾が言うと、所轄の刑事の1人が、
「1キロほど離れた山の中に乗り捨てられていましたね。それも、うちの鑑識員が指紋採取などを行なっていますので」
 と言った。
 谷合の遺体は、鑑識員のワンボックス車に載せられ、瀬戸内南署へ搬送されることになった。
「そいつが、ハムさんを殺した奴じゃな。でも、何で、殺されたんじゃろ?」
 と、近藤は、遺体を見ながら言った。
「ハムさんって誰です?」
 と、高野内が聞くと、
「笠松さんだよ。彼は、公彦っていう名前じゃけー。公彦の『公』の字をよう見ると、ハムと縦書きしているように見えるじゃろ」
「なるほど」
 高野内は、納得したように言った。
「ハムさんは、昔、同じ署で、同じ課の仲間だったんじゃ。温厚な人で、みんなから好かれていた。そんなハムさんの命を奪った奴は許せん!」
 近藤は、怒りをこめながら言った。
 笠松と宮本の乗った覆面車を、ダンプで襲ったのは、荻田勲が、署に連行されて、何かしゃべったらまずいと思ったのだろう。
 それで、犯人になり得る人物に、大型ダンプカーを運転できる人物がいないか探した結果、谷合正生が浮かんできた。
 しかし、その谷合も殺されてしまった。
「用が済んだから、口封じに殺したのでしょうか?」
 と、園町が言うと、
「その可能性もあるな」
 と、妹尾。
「警部、口封じに消したとすると、同じN組の神崎でしょうか?」
 と、難波が言うと、
「神崎がやったかもしれないし、他の者がやった可能性もある。とにかく、西住が指示を出してやったのは、間違いないと、俺は思う」
 と、妹尾。
「谷合の死亡推定時刻の割り出しや、ダンプカーから指紋とかを採取する作業は、瀬戸内南署にしてもろうて、わしらは、野崎元捜査一課長に、会うて(オーテ)尋問してみようか」
 と、近藤が言うと、
「そうですね」
 と、高野内は、言った。

 そして、高野内たちと、真由子、妹尾、難波、近藤、真野は、覆面車に分乗し、野崎の自宅へ向かうことにした。
「野崎元捜査一課長の家は、どこかわかりますかね?」
 と、高野内が、助手席で、妹尾に聞くと、
「岡山市の東山だよ。高級住宅が並んでいる住宅街だ」
 と答えた。
「家族とかはいるのでしょうか?」
「いや。離婚して、今は一人暮らしだよ。息子が2人いたが、2人とも、県外に就職している」
 と、妹尾警部。
 3台の覆面車は、ブルーラインを走り、君津というジャンクションで、2号線バイパスに入った。両端に一方通行の側道がある高架道路で、法定速度は、時速60キロだが、ほとんどの車が、80キロ以上で走っていた。
 2号線バイパスを下りると、県道を走り、周りが徐々に市街化してきた。途中で、県道から出て、やや細い道をしばらく走り、住宅街に入り、少し走ると、車を停止させた。
「ここだよ」
 と、妹尾は、左手にある家を指しながら言った。
 2階建ての立派な邸宅だった。高い塀に囲まれている。
 妹尾、高野内、園町は、覆面車を降りると、門のチャイムを鳴らした。
「野崎さん、夜分、すいません」
 と、高野内は、言った。
 しかし、返事がなかった。
「中に入ってみませんか?」
 と、園町が言うと、
「そうだな」
 と、妹尾。
 難波、窈子、江波、真由子、近藤、真野も、覆面車から降りてきた。
「中にいますかね?」
 と、難波が言うと、妹尾は、
「灯りはついているぞ。とにかく、門から中に入ってみよう」
 そして、妹尾、難波、高野内、園町、窈子、江波、真由子、近藤、真野の9人は、門扉を開けて、中に入った。
 庭も広く、立派だった。
「野崎さん! おられますか?」
 高野内は、ドアをノックしながら、大声を出した。
 しかし、何の返事もなく、静まり返っていた。
「なんか妙じゃのー」
 近藤は、怪訝そうな顔をして言った。
「誰もいないのかな?」
 と、妹尾は、言いながら、家の建物の周囲を見回っていた。
 突然、妹尾は、表情を変えながら、
「おかしい。留守にしては、電気メーターが回るのが早い。まさか、最悪の事態になっていなければいいが…」
 と、不安そうに言った。
「ドアにはカギがかかっていますね」
 と、難波が言うと、
「かまわん。破って入ろう!」
 と、妹尾は、言って、覆面車のほうへいったん戻り、トランクから、工具を出してきた。
 妹尾は、ドアの横の郵便受けから、特殊な工具を用いて、サムターン回しをした。
(なんか、泥棒みたいだな)
 高野内は、一瞬、そう思ったが、そんなこと考えている余裕はなかった。
 玄関のドアが開くと、あがって、灯りのついた部屋のほうへ向かっていった。自然に駆け足になる。
 ドアを開けると、豪華な家具の並んだ広いリビングルームが目に入った。
 高野内には、とても縁のない雰囲気の部屋だった。
(家具から、ソファーから、みんな一級品ばかりだな)
 高野内は、一瞬、見とれそうになったが、ソファとテーブルの間の床を見たとき、表情が変わった。
 床には、60代半ばに見える、体格の良さそうな男が、崩れ落ちていた。
「あっ、野崎さん!」
 近藤は、大声を出した。

 荻田勲を連行中の覆面車は、大破し、道路わきの畑で、変わり果てた姿を見せていた。
 後ろを走っていたパトカーのうち1台が、停止した。状況を確認するとともに、消防の救助隊や救急車を呼ぶのだろう。
 残り2台のパトカーは、サイレンを鳴らしながら、ダンプカーを追尾した。
「よし、俺たちも、ダンプを追いかけよう!」
 高野内運転の覆面車も、追尾に加わった。
 パトカーは、サイレンを鳴らしながら、ダンプカーの後ろをついて走った。
 そして、警察官の1人が、スピーカーで、
「そこの大型ダンプカー、左によって直ちに停止しなさい!」
 しかし、ダンプカーは、止まる気配がないどころか、加速した。
「繰り返す。前の大型ダンプ、左によって止まりなさい!」
 突然、ダンプカーは、急減速した。
 そして、突然、荷台が上がり、土砂や砂塵が宙を舞った。
 ダンプカーの直後を走っていたパトカーは、急ブレーキで止まろうとしたが、道路上にできた土砂の山に突っ込んだ。
 その後ろを走っていたパトカーは、慌てて左にかわそうとしたが、道路標識の柱に激突して、フロントを大破した。
「畜生!」
 高野内は、運転席で叫んだ!
 そして、車を止めて、高野内と園町は、パトカーの制服警官たちに、
「大丈夫ですか」
 と、声をかけた。
 幸い、制服警官には、負傷者はいなかった。
 警察官の一人が、ダンプカーのナンバーを無線で伝えてきたので、緊急手配は、すぐできるという。
「ダンプカーは、やはり、盗難車両です。瀬戸内市内で強奪されたそうです」
 と、警察官の1人が言った。

 荻田勲に、笠松、宮本の2人の刑事は、病院に搬送されたが、死亡が確認された。
 高野内と園町は、県警本部に、いったん戻ることにした。
 妹尾、難波のほか、真由子もいた。
 窈子や江波も戻っていた。
 赤磐南署の近藤警部と真野刑事も来ていた。
「すいません。情けないことになってしまって…」
 と、高野内が頭を下げると、妹尾は、
「西住が絡むと、そう一筋縄ではいかないよ」
 と言った。
「宮川さん一家の放火心中事件について、不審な点が出てきたんじゃ」
 と、近藤は、言った。
「どういう点ですか?」
 と、高野内が聞くと、
「宮川さんの近所に住む主婦何人かに聞いてみたんじゃが、宮川さんの家で火事があった夜、不審な黒い車を目撃したという証言を得たんじゃ」
「どうして、今になってですか?」
「わしも、それがひっかかってなー。なにがなんだか、わけーわからん」
「近藤警部は、聞き込みされなかったのですか?」
「わしも、近所を聞き込もうとしたのだが、刑事課長に、わしと藤野さんがするから、おまえはせんでいい、と言われたんじゃ」
「刑事課長に、藤野巡査部長ですか」
「そうじゃ」
「じゃあ、当時の刑事課長と、藤野巡査部長が、何か隠していた可能性が高いですね。その放火自体が、西住が関与していて、刑事課長と藤野巡査がグルになっていたのでしょうか?」
「わしもそう思うのー」
「当時の刑事課長にあたって、尋問してみませんか?」
「そうだな」
 と、近藤が言うと、
「その元刑事課長は、野崎征太郎(ノザキ・セイタロウ)さんですよね」
 と、妹尾が確認するように言った。
「そうです」
 と、近藤。
 話によると、野崎征太郎は、赤磐南署の刑事課長を務めたあと、警視に昇格と同時に、県警本部に異動し、捜査一課長を務めて、5年前に定年退職したという。
 だから、長年、捜査一課にいる妹尾も、よく知っていた。
「あとで野崎元課長にも、話を聞きに行きたいが、西住と深い関わりのあった暴力団員もマークしたいと思うんだ」
 と、妹尾。
「西住と関わりの深い暴力団員は、特定できているのですか?」
 と、高野内が聞くと、
「谷合正生(タニアイ・マサオ)と、神崎武彦(カンザキ・タケヒコ)の2人だよ。どちらも、N組の組員で、寺山殺害の日も、アリバイがはっきりとしないんだ。組長は、2人とも、組をやめて、カタギになったといっているが、どうも信用ができん」
 と、妹尾は、説明した。
 谷合と神崎の2人の組員の写真とデータの書かれた紙を渡された。
 谷合は、28歳で、元トラック運転手だったが、やめて組に入ったという。
 神崎は、40歳らしい。
「西住親子だけではなく、野崎元捜査一課長、谷合と神崎の2人も、要注意なのですね」
 と、江波は言い、
「あと、ダンプの運転手も、犯行に関わっていると言うことは、ありませんかね。盗難届出があったというそうですが、実は、共犯だと言うことは…」
 と、園町は、言った。
 すると、妹尾は、首を横に振りながら、
「それはないと見ていいと思うよ」
 と、否定する言い方をした。
「どうしてです」
「そのダンプだが、村上(ムラカミ)という33歳の運転手が、運転中、電柱の影から飛び出してきた人を引いたと思い、車を止めたんじゃ。そうしたら、後頭部を殴られて、気絶して、気が付いたら、車がなくなっていたそうだよ」
「人をひいたのですか?」
「いや。それが実は、人じゃなく、マネキン人形だったんだ。いたずらだとわかって、車に戻ろうとしたら、気絶させられて、車を奪われたんだ。村上運転手は、後頭部を負傷しているし、西住親子とは、面識はないらしい。それに、嘘をついている感じはなかった。だから、事件には、一切関係ないと見ていいはずだ」
 妹尾は、説明した。
「ダンプを強奪したのは、谷合という男でしょうか?」
 と、窈子が言うと、
「おそらくな。奴は、トラック運転手の経験もあるし、大型免許も持っているからな」
 と、妹尾。
「警部、ダンプと谷合を捜しましょう」
 と、難波警部補が言うと、
「ダンプは、緊急手配されているから、そのうち見つかる。車が見つかったら、調べて、谷合が運転した証拠を見つけよう」
「でも、まだダンプカーが発見されたという知らせはありませんね」
「そのうち見つかるよ」
 その矢先、捜査一課の電話が鳴った。
 妹尾が出て、なにか話をしている。表情が変わった。
 そして、電話を切ると、
「悪い知らせだ!谷合と思われる男の絞殺死体が見つかった。あと、谷合の発見現場から少し離れた箇所で、ダンプカーも発見された」
 それを聞いた高野内たちは、
「現場へ急ぎましょう!」

「君、いきなり、割り込んで急ブレーキかけやがって! 何考えてんだ!」
 運転席から降りてきた男は、大声で怒鳴った。
 すると、窈子は、小柄な身体やおとなしそうな顔に似合わず、
「ぶつかってきたのはあなたでしょ! あなたの前方不注意よ!」
 と、大きめの声で言った。
「君、減速したときに、ブレーキ灯つかなかったね。君は、いつも、整備不良車に乗っているのか?」
 今度は、江波が、
「先輩は、そんな車には乗らないよ!」
 と、相手を睨みながら、大声で怒鳴った。いつも温和な江波には、似合わない表情と声だった。
「でも、ブレーキランプが点かずに、急に減速したのは事実なんだ。故障していたんじゃないのかね?」
「だから、そんな車に乗るわけないだろ。専門家に調べてもらったら、わかることだ。とにかく、あなたが、追突したのは事実なんだから、それを認めたらどうですか!」
「わかった。あとで修理代払うから、俺は、急がないといけない用があるんだ」
 と言いながら、破損した車の運転席に乗ろうとした。
 窈子は、相手の手をつかんで、
「ちょっと、人の車にぶつかっていながら、逃げる気ですか」
 と、怒ったような声を出した。
「わかった。あとで弁償するから、俺の名前と住所と電話番号を、お渡ししますよ」
 と言いながら、男は、名刺入れから出して、窈子に渡した。
 名刺には、『荻田勲』という名前と、住所と電話番号が書かれていた。
「そんな名刺なんか信用できるもんですか! とにかく、警察を呼んで事故処理をしてもらいますわ!」
「そこまでするんですか。そんなことしたら、時間がかかってしまうよ。俺は、急いでいるんだ。あとで、修理代弁償を約束するからいいだろ?」
 荻田という男の顔には、焦りが出ていた。
「自分でぶつかってきて、そんな態度はないでしょう」
 と、窈子は、言ったあと、江波のほうを向き、
「カズ君、警察に電話して」
 江波は、荻田に聞こえないところで、携帯電話をプッシュし、妹尾警部に、追突させるのに成功したことを告げた。まもなく、警察官を向かわせるということと、警察官にも芝居をしてもらうように伝えていることを聞くと、電話を切った。
「先輩、警察に通報しました」
「ありがとう」
 それから、10分足らずで、パトカーが到着した。制服の警察官が2人乗っていた。中年過ぎの人と、まだ20代に見える若い巡査だった。
 江波は、荻田に気づかれないようにしながら、警察官の耳のそばで、
「宜しく頼みます」
 と、小さな声で言った。
 警察官は、「わかった」と言わんばかりに、首をたてに動かした。
 中年過ぎの警察官は、黒いチェイサーを指さしながら、
「この黒い車に乗っていたのは誰でしょうか?」
 すると、荻田は、
「私の車ですが」
「じゃあ、あなたが、あの紺色のカムリに追突したのですね」
「そうですが、前の車が突然、割り込んだのですよ。しかも、ブレーキランプは点かなかったし。整備不良じゃないのですか」
 荻田は、不快そうに言った。
「そんな車運転しないわよ」
 窈子は、荻田のほうを向いて、怒ったような声で言った。
「あなたの車が、前の車に追突したのは、事実なのですね?」
 警察官が聞くと、
「見たらわかるでしょう」
「そのとき、あなたは、時速何キロで走っていましたかね?」
「40キロから50キロくらいだと思います」
「ここは、40キロ制限ですよ」
 と、警察官が言うと、
「そうでしょう。だから、あの乗用車は、制限速度を大幅にオーバーして、割り込んだ上、いきなり急ブレーキをかけたんだ」
 と、荻田は、言った。
「でも、あなたにも、前方をよく確かめる義務はありますよ。現に、追突事故を起こしたのは、あなたのほうですし」
「わかった。とにかく、あの車の修理代は、あとで払うから、早く事故処理を済ませてくださいよ」
「そういうことは、いいかげんに終わらせるわけにはいきませんよ。免許証を見せてもらえますか」
 荻田は、車の中から、免許証を出して、警察官に見せた。
 免許証の有効期限は切れていないし、特に条件違反はなさそうだった。
 警察官は、氏名や住所、本籍地、生年月日、免許証番号などを、専用の用紙に書き写した。
「じゃあ、免許証は、お返ししますから、車検証や自賠責保険の証書を見せてもらえますか」
 荻田は、ダッシュボードを開けて、車検証入れを取り出した。車検証や自賠責保険の証書は、きちんと揃っていた。有効期限切れなどの違反は特になかった。
 荻田は、
「じゃあ、もういいでしょう。私は、急いでいるんです」
 と言いながら、ドアを開けようとすると、警察官は、手をつかんで、
「まだ終わっていませんよ」
 荻田は、もう片方の手で、警察官の手を叩いた。
「何するんだ!」
 警察官は、怒鳴った。
 荻田は、
「私は、急いでいるんだ!」
 と言いながら、警察官を小突いた。
 警察官は、
「公務執行妨害の現行犯で、逮捕する!」
 と言い、若い警察官に、
「こいつを取り押さえるのを手伝ってくれ!」
 2人の警察官は、荻田を押さえつけると、手錠をかけた。
 そして、若い警察官のほうが、無線で連絡した。

 それから、15分ほどして、制服警察官のパトカー2台と、覆面パトカー1台が到着した。
 白いコロナ・プレミオの覆面車から、2人の男の刑事が降りてきた。
 2人とも、機動捜査隊に所属していて、運転していたのが、宮本政一(ミヤモト・セイイチ)巡査部長。助手席から降りてきた50代半ばの刑事が、笠松公彦(カサマツ・キミヒコ)警部だという。
 宮本は、目つきの鋭い顔で、長身の男だった。年齢は、40くらいだろうか。笠松は、温和な感じだった。
「荻田勲という中学校教師の男を、公務執行妨害の現行犯で、逮捕しました」
 と、事故処理をした警察官が言うと、
「ご苦労だったな。じゃあ、パトカーの中で、話を聞いた後、所轄の警察署へ連れて行って、さらに聞こうか」
「じゃあ、おねがいします」
 制服の警察官は、手錠姿の荻田の身柄を、2人の機動捜査隊員に渡し、白いコロナ・プレミオの後部席に乗せた。
「あなたの名前と住所と年齢を、改めてお聞きしたいのだが」
 と、鋭い目つきの宮本が言うと、
「荻田勲。49歳。住所は、岡山市西大寺…」
 と、荻田は、質問に答えた。
「勤務先は、どこですか?」
 と、今度は、笠松が聞いた。
「瀬戸内市立瀬戸内中央中学校です」
「失礼ですが、以前、桜団地中学校に勤務していたことはありませんか?」
「ありますけど、さっきの事故とどう関係あるんですか?」
「あなたには、いろいろ聞きたいことがある。特に15年前の件について」
 と、宮本は、睨みつけながら言った。
「なんですか?」
「とぼけちゃ、おえんのー」
 と、笠松は言い、
「中学生が首を吊って死亡した件と、その中学生の担任教師が飛び降りて死亡した件について、聞かせてもらえるかな」
「ああ。あれは、宮川というヘタレが勝手に死んだんですよ。まあ、あいつ発達障害だから、ほかの生徒と人間関係がうまくいかなかったし、別にいなくなってもいいんじゃないですか。いじめられてたというけど、ほとんどあいつの被害妄想だし、そんなこと、なんで今さら蒸し返すのですか」
 荻田は、あざ笑うように言った。
 すると、いつもは、温和で、穏やかといわれている笠松の顔は、真っ赤になり、
「お前、教師がそんな発言していいと思っているのか! それに、障害のある人を差別したな! お前の言ったことは、教師、いや、人間として、言語道断だ! 15年前の2つの件も、自殺にしては、不審な点が多数見つかっとるし、もうとぼけることはできんぞ。所轄の警察署で、さらに詳しく話を聞かせてもらおうか!」
 実は、笠松には、広範性発達障害の息子がいて、人間関係や社会適応などで、苦労を強いられているからである。だから、同じ障害をもつ人を、軽蔑するような発言は、人一倍許せないと感じたのだろう。
「俺は、お前を絶対にゆるさんぞ!」
 笠松は、荻田を睨みつけたあと、無線機を手にとり、
「これから、荻田勲を、所轄の瀬戸内南署へ連行します」
 と伝えた。
 応援にきたパトカーや事故処理を担当した警察官のパトカー、それに、宮本と笠松の覆面パトカーは、赤灯を点灯しながら、発進した。ただし、サイレンは鳴らさなかった。
 
 パトカーや覆面パトカーが走り去ったあと、事故現場には、2台の車と、窈子、江波の2人が残った。荻田の車は、まもなくレッカー車が来て、警察署へ運ぶ予定だと言う。
 江波が、無線で、荻田勲が逮捕、連行されたことを告げると、高野内と園町が、覆面車で、現場へ来た。
「荻田の逮捕が上手くいきましたわ」
 と、窈子が言い、
「これで、荻田を拘束して、15年前の真相を吐かせば、事件解決に向かいますよ」
 と、江波は、期待をしたように言った。
 それを聞いた高野内は、
「で、一時、江波、あと、君らはどうするつもりだ?」
「荻田の車がレッカー移動されれば、私たちは、この車で、県警本部に戻りますわ」
「じゃあ、今のうち、荻田の車に何かないか調べようか」
 高野内は、そう言いながら、白い手袋をはめて、荻田の車のドアを開けた。
 車内には、CDプレイヤーやMDのプレイヤー、それにカーナビが装着されていた。
 ダッシュボードを開けると、車検証や保険の証書、それに、点検簿などが出てきた。
 車内には、荷物などはなかった。逮捕したとき、警察官が持っていったのだろう。
「特に、15年前の事件解決につながるようなものはないな」
 高野内が、助手席の下に手を入れたとき、何か変なものに触れたような感触があった。
「なんだ?」
 と言いながら、何かを手にとった。
 それは、GPSの発信機だった。
「なんでそんなものが…」
 と、園町は、軽く驚いたような声を出した。
「誰が取り付けたのだろうか」
 と、高野内。
 すると、園町は、表情を変えながら、
「まさか。西住か、知り合いの暴力団員でしょうか?」
「もし、そうだとしたら、荻田が危ない!」
 と、高野内は、大声を出し、
「一時、江波、俺たちは、荻田の乗ったパトカーのあとをつける!」
 と、言い、2人は、覆面車に乗った。
 そして、赤色灯を出して、緊急走行をした。
 荻田の身に、何か危険が迫っているのだろうか。
無線で、荻田の乗った車の走行ルートを聞きながら、その方向へ向かった。
 しばらく走ると、前方に、赤灯を点けた白黒のパトカー3台と、白い覆面パトカー1台が目に入った。
 場所は、瀬戸内市内の県道で、峠を越えて、下り坂に差し掛かって間もない箇所だった。
 突然、後ろから、ディーゼルエンジンの音が聞こえてきた。
 ミラーを見ると、10トンクラスのダンプカーが映っていた。
 ダンプは、対向車線に出て、高野内たちの覆面車を追い越すと、白黒パトカーを追い越し、警察車両の列の先頭にいた覆面車に接近して、幅寄せした。
 そして、ダンプの左前部が覆面車に近づき、ドカーという轟音とともに、白いコロナ・プレミオの覆面車は、一瞬、宙に舞い、上下逆さまにひっくり返りながら、道路わきの畑に叩きつけられた。
 白い覆面車は、車種がわからないくらい変わり果てた姿になった。
 ダンプカーは、そのまま、ものすごい勢いで、走り去っていった。
「あっ、荻田が!」
 高野内は、運転席で大声を出した。

 高野内、園町、窈子、江波の4人は、瀬戸内市にある瀬戸内中央中学校に到着した。
 周りに、田園が広がっている場所にある学校である。
 2台の覆面車は、校門の前で停止した。
 時計を見ると、4時を過ぎていた。
 高野内は、無線で、
「俺と園町が、中に入って、荻田という教師に質問してくるから、窈子と江波は、門の前で待機してくれ」
「了解」
 と、江波は、返事した。
 高野内運転の覆面車は、校門を通り、校舎横の駐車場に停止した。
 突然、無線から、
「こちら、県警捜査一課の妹尾ですが、警視庁の高野内さん、園町さん、応答願います。どうぞ」
 という声が聞こえた。
 園町は、無線のマイクを手にとり、
「さきほど、瀬戸内中央中学校へ到着しました。私と高野内巡査部長の2人で、荻田勲教諭に接近します。一時巡査と江波巡査には、校門の前で待機させてもらいました。どうぞ」
「できれば、なんとか理由つけて、荻田教諭を連行できればと思う。そうして、15年前の件の質問をして、荻田から、いろいろ聞こうと思う。あと、西住親子は、暴力団とも付き合いがあるそうなので、その点も注意せよ」
「了解」
 そして、高野内と園町は、覆面車を降りて、鉄筋コンクリートの校舎に入り、職員室のドアを開けると、中にいた男性教職員の1人が、
「何の用件でしょうか?」
 と、聞いてきた。
 高野内は、警察手帳を提示して、
「私、警視庁鉄道警察隊のものですが、荻田勲先生とお話できないでしょうか」
 すると、相手は、
「荻田先生は、一足違いで帰宅しました。本当に、今さっきです」
「早い帰宅ですね」
「今日は、大事な用件があるといっていました」
 それを聞いた高野内は、慌てたような言い方で、
「通勤は、車ですかね」
「ええ。そうです」
「通勤に使っている車の車種や色は、何でしょうか?」
「黒いチェイサーです」
「ナンバーはわかりますかね」
「はい。大きい数字なら、憶えていますよ。わかりやすい番号ですから」
 と、言ったあと、その教職員は、その番号を言った。
 園町は、メモしたあと、江波に携帯電話をかけて、
「江波、校門から、黒い乗用車が出てこなかったか?」
「今のところ、見ていません」
 と、江波が言いかけたあと、突然、
「あっ! 出てきました。車種は、チェイサーです!」
 と、大声で言った。
「番号は?」
「岡山330…」
 江波は、車の番号を告げた。
 それを聞いた園町は、
「気づかれないように追尾してくれ! 俺たちもあとで向かうから」
 と言って、電話を切った。
 高野内は、
「荻田先生の住所、わかりますかね?」
 と聞くと、相手は、
「岡山市の西大寺だったと思いますが、ちょっと待ってください」
 と言いながら、職員室の奥へ、何かをしにいった。
 そして、教職員名簿を持ってきて、住所を教えた。
「それで、刑事さん、荻田先生が何をしたのですか?」
 教職員が心配そうに聞くと、
「いまのところ、はっきりとはいえませんが、ある事件の真相を知っていると思い、お聞きしようと思いました」
 と、高野内は言い、
「どうもありがとうございました。では、失礼します」
 と、頭を下げたあと、職員室をあとにした。
 そして、高野内と園町は、覆面車に戻ると、発進させた。

 窈子と江波が乗った覆面車は、黒いチェイサーの後ろをついて走った。
 運転しているのは、窈子である。車間を開けすぎず、詰めすぎずに、気をつけながら運転していた。
 助手席の江波は、カーナビを見ながら、
「こちら、警視庁の江波ですが、現在、ヤマダショウ地区を、赤穂線の線路の方面へ向かって走っています」
 と、無線で伝えた。
 すると、無線機から、
「それは、山田庄(ヤマダノショウ)と読むんだ。それで、荻田教諭の車は、何か違反とかしていないかね? どうぞ」
 と、妹尾の声が聞こえた。
「現在、速度制限時速40キロのところを50キロ前後で走っています。ただ、他の車も同じようなスピードで走っています」
「蛇行運転をしているとか、ブレーキ灯がつかないとか、そういうことはないかね?」
「とくにありません」
 黒いチェイサーは、信号機のある十字路に近づいた。右ウインカーを出して、右折した。信号機は青なので、特に違反はなかった。
「信号のある交差点を、右折し、北へ向かって走っています。そのまま走ると、赤穂線と並行する県道に出ると思います」
 と、江波は、無線のマイクを手に持って言うと、
「その道は、追い越し禁止ではないな」
 と、妹尾。
「はい。中央線は、白色の破線です」
「よし、芝居をしてもらおうか」
「芝居?」
「俺が許可するから、荻田を追突事故の加害者にするんだ!」
「えっ、どういうことです」
 江波は、驚いた表情で言った。
「荻田の車を追い越して、そのあと、すぐに、シフトダウンしたうえ、サイドブレーキで急減速するんだ。そうすれば、ブレーキ灯が点かずに減速した車に追突するかもしれん。もし、追突して、逃げようとしたら、当て逃げで逮捕できるし、逃げなかったとしても、なにか連行するきっかけが作れると思う。そうすれば、荻田が西住と接触することができなくなる」
「荻田は、西住に会いに行くのでしょうか?」
「おそらくな。第一、教員がこんなに早く退勤するのは、何かあるだろう?」
「そうですね」
「じゃあ、俺が言ったとおりにしてくれ! あと、警察官であることを悟られないようにな」
「わかりました」
 と、江波は言うと、窈子に、
「今の無線の内容、聞きました?」
「追突事故を起こさせるんでしょ」
「そうです。そうして、荻田を連行するきっかけを作るんです。あと、荻田には、警察官だと勘付かれないように芝居してください」
「わかったわ。じゃあ、しっかりつかまっていて!」
 窈子は、対向車がいないのを確認すると、右ウインカーを出し、アクセルを強く踏んで、加速した。
 そして、黒いチェイサーを追い越すと、直前に割り込み、オートマチックのレバーをDから2に切り替えて、足踏み式のパーキングブレーキを踏み込んだ。
 車は、急減速をした。
 それから、まもなく、後方から、ガシャーという大きな音を立てながら、大きな衝撃が走った。
 窈子は、ブレーキペダルを踏み、車を、道の端に停止させた。車が完全に停止すると、レバーをPに入れて、車から降りた。江波も降りていった。
 覆面車は、リアバンパーや、テールライト周りが破損していた。
 追突した黒いチェイサーは、フロントが破損し、ボンネットの蓋が盛り上がっていた。
 チェイサーの運転席のドアは開き、中から、40代後半から50くらいの背の高い男が降りてきた。
 その男が、荻田なのだろうか。

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