日付が3月1日に変わって間もない頃の岡山県警本部では、池上へ対する取調べは、まだ続いていた。
「じゃあ、次は、岩澤校長先生が亡くなった件についても、話を聞かせてもらおうかのう」
 と、近藤は言った。
 すると、池上は、
「それも、社長の命令でした」
 と言った。
「やっぱり、そうだったんじゃな」
 と、近藤は、池上の眼をじっと見ながら言い、
「詳しく話してもらえるかのう」
「はい。社長の命令で、事故死に見せかけて殺害するために、岩澤校長先生の車のブレーキに細工をしたのは、私です」
 と、池上は、犯行を認めた。
「動機は何かのう? カネか?」
 と、近藤が聞くと、
「そうです。平山先生や宮川君の死について、我々にとって、不利な事実を隠蔽する見返りとして、多額のカネを要求してきたのです」
 と、池上は答えた。
 すると、近藤は、
「それで、殺したんじゃな!」
 と、少し声を荒げながら言った。
「はい」
 と、池上。
「それじゃー、次は、内村浩一教諭が亡くなった件について、話してもらおうかのう」
 と、近藤が言うと、
「内村先生は、同僚だった宮川英人さんとその一家の死について、疑問視していたと、伸吾さんから聞きました」
 と、池上は言った。
「それで、殺したのか?」
 と、近藤が、鋭い目つきで言うと、
「はい。社長と伸吾さんの命令で、私が、内村先生の車のブレーキに細工をしました。事故死に見せかけて、殺害するためにです」
 と、池上は答えた。
「じゃあ、次は、戸塚雅明が、出所後、死亡した件についても聞かせてもらえるかのう」
 と、近藤が言うと、
「それは、実行したのは、荻田先生ですが、命じたのは社長です。私も少し手伝いました」
 と、池上は答えた。
「動機は何じゃ?」
 と、近藤が聞くと、
「もちろん、口封じです」
 と、池上は答えた。
 こうして、10年以上前に起きた事件の真相が明らかになっていた。
 池上へ対する取調べは、まだ終わらなかった。