3月1日の朝、岡山県警本部では、西住親子と池上に対する取調べが、まだ続いていた。
「じゃあ、次は、浜田耕太郎と安倉美紀殺害の件について、話してもらえるかのー」
 と、近藤が言った。
「浜田君も、安倉さんも、社長の命令で、伸吾さんがやりました」
 と、池上は答えた。
 すると、高野内は、険しい顔で、
「それにしても、やたらとたくさんの人を殺したな」
 と言ったあと、
「浜田は、西住親子の忠実な部下じゃなかったのか?」
 と言うと、
「以前はそう思っていたのですが、実は、浜田も、カネに汚い他の連中と同類だったのです」
 と、池上は言った。
「どういうことだ?」
 と、高野内が言うと、
「入社時は、きちんとしていたのですが、会社の不祥事などを知ると、それを口実に、カネを要求したり、会社の資産をよこせとか、家のローンを払えとか、いろいろ要求してきたのです」
 と、池上は答えた。
「具体的には、どんなことを浜田に知られたんだ?」
 と、高野内が聞くと、
「自社で建設している分譲マンションの耐震強度を偽装したことや、盗難車を集めて輸出して、暴力団と一緒に荒稼ぎしていたこととかです」
 と、池上は言った。
「それで、殺したんだな?」
 と、高野内が強い口調で言うと、
「そうです」
 と、池上。
「じゃあ、次は、安倉美紀殺害の件についても聞かせてもらえるかのー」
 と、近藤は言った。
 すると、池上は、
「安倉美紀は、平山義彦先生の婚約者だったとともに、兄である平山泰彦が乗務していた列車に乗っていた人物です。それで、社長と伸吾さんは、安倉美紀が生きていると危ないと思い、彼女も殺害の対象にしたのです。殺害を実行したのは、伸吾さんです」
 と、説明するように言った。
 それを聞いた高野内は、
「それにしても、たくさんの人たちを殺しまくったな」
 と、睨みながら言うと、
「私が思うには、殺す必要のない人まで殺したような気がするのです。しかし、社長は、殺せといって、私のいうことには耳を傾けようとしなかったのです。もし、社長の命令に逆らっていたら、私が殺されていたかもしれません」
 と、池上は、少し震えながら言った。
 こうして、池上の供述によって、数々の事件の真相が明らかになっていった。
 西住晴伸と伸吾の親子は、犯行を頑なに否認していた。
 その日の昼ごろには、暴力団員の神崎武彦も逮捕された。
 しかし、神崎も、西住親子に選ばれて、犯行の手助けをしただけあって、口はかたかった。
 だが、数々の証拠や池上の証言などから、西住晴伸と伸吾の親子、池上、神崎の4人は、間違いなく起訴されることになるであろう。
 高野内、園町、窈子、江波の4人は、その日の夕方、新幹線で東京に帰ることになった。
 高野内たちが岡山へ行っていた間も、痴漢やスリなど、電車内で発生した犯罪の被害届が数多く出されている。高野内たちは、それらの事件の捜査に加わらなければならず、いつまでも岡山に残ることは許されなかった。
 いつまでも、西住親子たちが犯した一連の事件のことを考えている余裕はなかった。
 
 それから1ヶ月あまりが過ぎたある日、東京駅の分駐所に、高野内宛の手紙が届いた。
 差出人は、『近藤敬太』と書かれていた。
 懐かしさを感じながら、高野内は、封筒を開いた。
 すると、1枚の手紙が入っていた。

『その後、いかがお過ごしでしょうか。
 私は、先月末、四十年余り勤めた警察官を定年退職致しました。
 現役中は、数多くの事件の捜査や取調べ担当してきましたが、西住親子が犯した数々の事件は、私が捜査に関与した事件のなかでも、特に難事件でした。
 高野内さんや皆様のご協力のおかげで、時効が成立する前に犯人を逮捕・起訴することができ、心より感謝の意を申し上げたい所存です。
 おかげさまで、悔いを残すことなく退職の日を迎えることができたと思っております。
 今月の下旬には、西住晴伸、西住伸吾、池上雅典、神崎武彦の四人の公判が開始されると思われますが、西住父子と神崎は、相変わらず犯行を否認している模様です。
 しかし、池上が犯行を認めていることや、数々の証拠などから、四人の有罪は動かないものと、私は確信しています。
 ところで、わが地元岡山県は、自然が豊かで食べ物も美味しいすばらしい所です。
 また、岡山へお越しの際は、お気軽にお知らせください。
 いつか、再会できる日を楽しみにしております。
 また、皆様にも宜しくお伝えください。

                                                
 近藤敬太』


 THE END