浜崎ヒカルのブログ推理小説

ブログを利用して推理小説を書いています。 鉄道ミステリーが中心になります。

2013年12月

 10月8日、午前11時43分、新幹線『のぞみ218号』は、終点の東京駅の18番ホームに到着した。
 『のぞみ218号』は、新大阪発の新幹線列車である。東京駅到着後は、しばらくして、車両基地へ回送される。
 到着後、車掌の倉田(クラタ)は、車内を見て歩いていた。
 忘れ物や不振な荷物がないか、眼を光らせたり、到着後も下車していない客がいないか、見て回るのである。
 新幹線『のぞみ』は16両編成の列車で、上り列車は、前から16号車、15号車の順で、最後尾が1号車である。
 倉田車掌が、前から5両目の12号車の客室に入ったとき、進行方向左側の窓側のE席に、1人の男性客が寝ているのが眼に入った。
 12号車は、普通車指定席の車両で、倉田が車内改札を行った。寝ていた男性客の顔も、倉田は憶えていた。
「お客様、終点です。起きてください」
 と、倉田は、男性客に声をかけた。
 しかし、まったく反応はなかった。
 そこで、男性客の肩を軽く叩きながら、
「お客様、終点です」
 と、再度言った。
 すると、その乗客の身体は、座席から床に崩れ落ちていった。
 倉田は、顔を蒼くしながら、業務用の携帯電話で警察に通報した。

 11時50分が近づいていたとき、警視庁鉄道警察隊の巡査部長の高野内豊(タカノウチ・ユタカ)は、自分が所属する鉄道警察隊東京駅分駐所に戻ろうとしていた。
 高野内は、42歳で、警察官になって20年以上になる。主に私服姿で活動し、列車や駅構内での犯罪事件の捜査を担当することが多い。
 そのときの高野内は、同じ鉄道警察隊の後輩の園町隆史(ソノマチ・タカシ)巡査長と一緒にパトロールに出ていた。
 主に列車内でのスリや痴漢の取締りのためである。
 園町は、39歳。彼も、私服姿で活動することが多い。
 分駐所に戻ると、高野内は、上司である桑田敬一(クワタ・ケイイチ)警部に、
「ただいま、パトロールから戻ってきました」
 と言った。
 桑田警部は、55歳。元鉄道公安官である。
 高野内たちが、パトロールを終えて、一息つこうとした矢先、桑田警部は、
「高野内君、園町君、今すぐ、東海道新幹線のホームに行ってくれ」
 と、命じた。
「事件ですか?」
 と、高野内が聞くと、
「まだはっきりとはわからんが、『のぞみ218号』の車内で、男性客が座席で意識を失っているのを、車掌が見つけて通報したそうだ」
 と、桑田は答えた。
 そして、それに続いて、
「『のぞみ218号』は、18番ホームに止まっている。急いで行ってくれ! ほかの隊員も向かわせるから」
 と、やや大きな声で言った。
 高野内と園町は、駆け足で、18番ホームへ向かった。
 18番ホームには、16両編成のN700系新幹線電車が止まっていた。それが『のぞみ218号』である。
 高野内たちが現場である12号車へ向かって走ると、男女2人の制服警察官の姿が見えた。
 高野内と同じ鉄道警察隊東京駅分駐所の警察官で、男性の警察官は、鶴尾剛士(ツルオ・タケシ)巡査。女性警察官は、桜田奈々美(サクラダ・ナナミ)巡査だった。
 鶴尾は、37歳。制服姿で駅構内をパトロールするときと、私服姿で捜査するときがある。
 奈々美は、21歳。たまに私服姿で捜査に加わることがあるが、ほとんどの日は、制服姿で駅構内のパトロールを担当している。
 高野内が、鶴尾と奈々美のほうを向いて、
「ごくろうさん」
 と、声をかけると、
「ご苦労様です」
 と、鶴尾は返事をした。
 そして、高野内、園町、鶴尾、奈々美の4人は、12号車に入った。
 12号車のデッキには、50歳くらいの男性の車掌が立っていた。JR東海の制服を着ていた。
 高野内が、車掌に、
「鉄道警察隊です」
 と言うと、車掌は、
「私は、車掌の倉田といいますが、12号車で、お客様が1人意識を失っていまして、それで、警察へ通報いたしました」
 と言った。
「その乗客は、どちらにいるのですか?」
 と、高野内が言うと、
「客室です」
 と、倉田車掌は言いながら、高野内たちや鶴尾、奈々美を、車内に案内した。
 窓側のE席で、30代半ばくらいに見える男性が、座席から床に崩れ落ちて動かないのが、高野内に見えた。
 高野内は、その乗客に近づき、身体のあちこちを確認しながら、
「ダメだ。この人は、意識を失ったのではなく、既に死亡している。死後1時間半以上は経っているな」
 と、はっきりとした声で言った。
 すると、倉田車掌は、
「こちらのお客様は、亡くなられているのですか」
 と、驚いたような声で言った。
「はい。亡くなっていますね」
 と、高野内が言うと、
「病死でしょうか?」
 と、倉田車掌は言った。
 男性客の身体には、大きな外傷はなく、出血もなかった。
「持病が原因で亡くなったのでしょうかね?」
 と、鶴尾が言うと、
「それは、遺体を調べてもらわないとわからないよ」
 と、高野内は答えた。
 その男性客は、中肉中背で、10月になっているにも関わらず、上半身は、夏に着るような半そでのTシャツ姿だった。
「その乗客は、暑がりの可能性が高いな」
 と、高野内は、遺体を見ながら言った。
「そうですね。確かに、これは、夏姿ですね」
 と、奈々美は、怪訝そうに遺体を見ながら言った。
 そのあと、高野内は、
「この乗客の所持品を確認しようか」
 と言いながら、手袋をはめて、ズボンのポケットを探った。
 すると、財布やキップが出てきた。
 財布には、現金が20万円以上入っていた。キップは、乗車券、特急券とも、新大阪から東京までだった。
「この人は、新大阪から乗ったのでしょうか」
 と、園町は、キップに眼を向けながら言った。
 高野内は、倉田車掌のほうを向いて、
「この人は、どちらから乗られたかわかりますか?」
 と聞いた。
「おそらく、新大阪からだと思いますが、私がキップを拝見したのは、京都を出てからです」
 と、倉田車掌は答えた。
 財布やキップはあったものの、手荷物は見つからなかった。
 手ぶらで乗ったのか、誰かに持ち去られたのかは、わからなかった。
 その間にも、所轄の警察署の警察官も来た。
 男性客の遺体は、警察署の警察官によって、列車から降ろされ、担架に載せられた。
「この遺体には、司法解剖が必要だと思いますね」
 と、高野内が言うと、所轄の警察署の警察官の1人が、
「我々もそう思います」
 と言った。
 そして、遺体は、担架で運ばれていった。
 後に、司法解剖にまわされるであろう。
 高野内、園町、鶴尾、奈々美の4人は、分駐所へ戻ることにした。

 松本中央署に戻った林警部は、捜査に関する話し合いを始めた。
 殺人事件としての捜査である。
 その話し合いの途中で、鑑識員の1人が、
「警部、害者の身元が判明しました」
 と、言いながら、資料を見せた。
「ご苦労さん」
 と言いながら、林は、資料に眼を向けた。
 鑑識員は、
「害者は、室野祐治(ムロノ・ユウジ)という36歳の男です」
 と言った。
 資料によると、被害者の名前は室野祐治で、過去に逮捕歴があることがわかった。過去に犯した犯行は、女性に対するストーカー事件で、ストーカー規正法違反で、何度か警察に逮捕されていることがわかった。
「ホトケさん、ストーカーをやっていたようだな」
 と、林が言うと、
「現場に女物の化粧品が落ちていましたから、ホシは女の可能性もありそうですね」
 と、森下は、真剣そうな表情で言った。
「そうだな。室野は、ストーカー被害者になにかしようと迫って、逆に殺された可能性もあるな」
 と、林。
「私もそう思います。室野祐治と、ストーカーされた女性についても調べてみたいですね」
 と、森下。
 鑑識の資料によると、室野祐治の死亡推定時刻は、午前7時から8時の間で、死因は、頭蓋骨陥没による脳挫傷だった。殺害方法は、鈍器による後頭部殴打とみて間違いなさそうだが、凶器は見つかっていない。
 室野祐治について、さらに詳しく調べてみると、鹿児島県出身で、本籍地も鹿児島県だったが、死亡時の現住所は、東京都八王子市だった。出身は鹿児島県だが、中学1年生の途中から30歳まで、岡山県に在住していた。
 室野は、25歳のときに、ストーカー規制法違反で、初めて警察に逮捕された後も、29歳のときと32歳のときにも同じ罪で警察に逮捕されていた。
「ホトケさんは、ある女性につきまとい、美ヶ原まであとをつけていき、そこで女性に何かしようとしたところ、後頭部を殴打されたのだと、私は思いますね」
 と、森下は自信たっぷりに言った。
「じゃあ、化粧品は、そのとき、女性のバッグから落ちたが、その女性は、それに気づかず、室野を殴打したあと、凶器を持って逃げたということか?」
 と、林が念入りに聞くと、森下は、
「そうだと思います」
 と言った。
 そのあと、林は、
「化粧品からホシの特定につながれば、早く解決できそうだな」
 と言った。
 すると、鑑識員は、
「現場に落ちていた口紅とファンデーションは、どちらとも全国の100円ショップに大量に流通しているものでした。調べてみたところ、使用した形跡はありませんでした」
 と言った。
 それを聞いた林は、
「化粧品は未使用か? なんか妙だな」
 と、怪訝そうな顔で言った。
「指紋とかから、犯人が特定できませんかね?」
 と、森下が言うと、
「残念ながら、指紋は検出されませんでした」
 と、鑑識員は言った。
 
 林警部は、肩を落とした。
 殺害された男の身元はわかったものの、現場からは、凶器は見つからなかったうえ、現場に落ちていた口紅とファンデーションからも、犯人を特定する証拠は見つからなかった。
 現場にあった口紅とファンデーションは、いずれも全国の100円ショップに大量に流通しているもので、流通ルートから、犯人を割り出すのも困難だった。
「このままでは、捜査が長引きそうだな」
 と、林はぶつぶつと言った。
「室野がつきまとっていた女性について調べてみる必要がありそうですね」
 と、森下は言った。
 すると、林は、
「そうだな。室野は、住所が東京都だから、警視庁に調べてもらうように頼んでみるよ」
 と言った。

 2013年10月8日の朝9時頃、長野県の松本市は、雨が降っていた。
 その頃、美ヶ原高原へ向かう美ヶ原スカイラインを、4台の警察車両と1台の救急車が、サイレンを鳴らして走っていた。
 それらの警察車両の列の先頭の覆面パトカーには、長野県警松本中央警察署・刑事課の林(ハヤシ)警部が乗っていた。運転していたのは、同じ松本中央警察署・刑事課の森下(モリシタ)刑事である。
 林は、55歳になったばかりだった。森下は、32歳。
 彼らは、美ヶ原高原で、男が血を流して倒れているという通報を受けて、現場へ急行していたのだ。
 美ヶ原高原へ向かうにつれて、外の雨は激しくなっていった。
 それから少し経って、林が乗った覆面パトカーなどは、美ヶ原自然保護センターの駐車場に到着した。
 制服警官が乗るパトカーが、既に2台到着していた。
 林たちが車から降りると、地域課の制服警官の1人が、
「ご苦労様です」
 と言って、敬礼したあと、
「通報したのは、観光に来ていた若い夫婦です」
 と言った。
 そして、林たちを、現場へ案内した。
 林たちは、レインコートを着て、ハイキング道を歩いた。
 鑑識課員もあとをついて来た。
 美ヶ原高原は、松本市と上田市と小県郡長和町にまたがる高原で、多くの観光客が訪れる場所であるが、その日は、雨が続いていたせいか、観光客の姿はまばらだった。
 車を降りて、ハイキング道を歩いて、10分ほどすると、地面に倒れている男の姿が眼に入った。
 付近には、制服警官が2人立っていた。
 倒れていた男は、身長180センチ以上ある長身で、頭は茶髪だった。年齢は、30代後半くらいに見えた。男は、うつ伏せになって倒れていて、後頭部から血を流していた。
 そばには、夫婦と思われる20代くらいの男女がいた。
 制服警官の1人が、
「こちらの方たちが、通報したそうです」
 と言い、もう1人の警官が、
「通報された方は、被害者とは面識はないそうです」
 と言った。
 林は、倒れていた男に、
「大丈夫か?」
 と、声をかけながら、肌に手を触れた。
 男からは、何の反応もなかった。
 林は、
「この人は亡くなっている。入念に調べてみないとわからないが、死後1時間以上は経っているな」
 と、眼をとがらせながら言った。
 続いて、森下が、男の持ち物を調べながら、
「犯人は、物盗りではないと思いますね」
 と言いながら、手袋をはめた手で、財布を林に見せた。
 すると、林も、手袋をはめた手で、財布を手にとり、中身を確かめた。
 財布の中には、1万円札が13枚入っていたほか、小銭が若干あった。
「確かに、物盗りではなさそうだな。怨恨による殺しの線でもあたってみる必要がありそうだな」
 と、林は、被害者の財布を入念に確かめながら言った。
 財布には、ほかにキャッシュカードやクレジットカードも残っていた。
 それ以外には、ポケットにハンカチやティッシュが入っている程度で、手荷物といえる所持品は見つからなかった。
 被害者は手ぶらでここまで来たのか、それとも、犯人が手荷物を持ち去ったのかは、まだわからなかった。
 男の遺体は、鑑識員が用意した担架に載せられ、署まで運ばれることになった。
 救急隊員は、空の救急車に戻り、消防署へ帰った。
 林たちは、引き続き、現場を調べた。
 被害者が倒れていた現場周辺は、雨でぬかるんでいた。犯人を特定できそうな手がかりは、ほとんど雨で消えていた。
 だが、付近の地面には、口紅とファンデーションが1つずつ落ちていた。
 しかし、それが、犯人を特定する証拠になり得るかは、まだわからなかった。
 林は、口紅をファンデーションを、現場に残っていた鑑識員に渡した。
 そして、その後も、しばらく、付近を調べたが、有力な手がかりになる証拠を収集できないまま、署へ戻った。
「これは、解決まで時間がかかりそうだな」
 と、林は、ぶつぶつ言った。

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