10月12日、その日は、土曜日だった。
高野内、園町、鶴尾、奈々美の4人は、朝の7時半頃、出勤した。新幹線『のぞみ218号』の車内で、早崎裕允が殺害された事件の捜査のためである。
桑田警部と磯野貴代子、堀西真希も出勤していた。
「早崎裕允に毎月5万円を振り込んだ人物は、長野県松本市に住む岩崎正信という男だとわかりました」
と、高野内は言い、そのあとも、岩崎正信について、知りえた範囲で説明した。
「職業は、工場勤務の作業員で、勤務先は、松本市内の工業団地にあるM工業です」
と、高野内は言った。
「早崎裕允は、岩崎正信という人物の弱みをネタに恐喝していたということかね?」
と、桑田警部が言うと、
「そうだと思います」
と、高野内は、はっきりとした口調で答えた。
「岩崎という男がゆすられるような弱みって、一体何かしら?」
と、貴代子が言った。
「それはまだわかりません。でも、岩崎正信について調べたら、おそらく、何か出てくると、俺は思います」
と、高野内は答えた。
しかし、そのときは、岩崎正信の弱みが何なのか、高野内にもわからなかった。
「岩崎について、さらに調べてみる必要がありそうだな」
と、桑田が言うと、
「はい。私もそう思います」
と、高野内は言った後、
「松本中央署の刑事課が、岩崎や関係する人物について調べなおしています」
と言った。
それからしばらくして、ファックスが届いた。発信元は、松本中央署だった。
ファックスの内容によると、岩崎正信は、63歳。生まれも育ちも長野県松本市だという。現在独身で、過去に結婚していて娘が1人いたが、結婚から8年後、妻が亡くなり、その後、一人で娘を育ててきたが、その娘も、2011年5月に死亡。現在、松本市内で一人暮らし。
なお、勤務先のM工業での評判は、勤務態度はまじめで、上司からも部下からも好かれていて、社内でトラブルを起こしたことはないとのことだった。
桑田警部は、ファックスの送信内容が印刷された紙を見ながら、
「高野内君は、どう思うかね?」
と、高野内のほうを向いて言った。
「娘さんが亡くなった件と、何か関係がありそうな気がします」
と、高野内は、はっきりとした口調で答えた。
それに続いて、
「私も、高野内君の考えと同じです」
と、貴代子が言った。
それを聞いた桑田警部は、
「じゃあ、岩崎正信の娘と早崎裕允との関係について調べてくれ!」
と言った。
そのあと、桑田は、松本中央署に電話をして、岩崎正信の娘の詳細を問い合わせた。
そして、何分か話した後、電話を切って、それから、高野内のほうを向いて、
「もうすぐ、松本中央署が、岩崎正信の娘についての詳細をファックスで送るそうだ」
と言った。
しばらく待つと、ファックスが届いた。
ファックスの内容によると、娘の名前は、岩崎真実(イワサキ・マミ)。死亡時は32歳。岩崎正信の一人娘で、きょうだいはいない。
松本市出身で、地元の高校を卒業後、上京し、東京都内の大学へ進学。卒業後、東京都新宿区にある情報処理関係の会社へ就職し、死亡時まで在職していた。死亡時の住所は、東京都杉並区。死亡日は、2011年5月15日で、自宅アパートの自室で首を吊って死亡していたとのこと。
なお、死亡時、岩崎真実は、妊娠3ヵ月が経過していた。ちなみに、岩崎真実自身は独身で未婚だった。
「これをみて、どう思うかね? 高野内君」
と、桑田は、ファックスの用紙を指差しながら、高野内の向いて言った。
「岩崎真実と早崎裕允との接点があるかどうか、調べてみる必要があると思います」
と、高野内は答えた。
「じゃあ、高野内君、園町君、竹ノ塚の早崎の自宅へ行って、何か手がかりになるものがないか、再度調べてくれ」
と、桑田は言った。
「わかりました」
と、高野内は返事をしたあと、園町と一緒に、覆面車に乗って、足立区竹ノ塚にある早崎のアパートに向かった。運転したのは高野内である。
午前9時半が近づいてきた頃、高野内が運転する覆面車は、足立区竹ノ塚を走っていた。助手席には、園町が乗っていた。
高野内運転の覆面車は、早崎裕允が住んでいたアパートの前に止まった。
そして、高野内と園町の2人は、車から降りて、白い手袋をはめると、早崎裕允の部屋の鍵を開けた。
ドアを開けると、殺風景な一人暮らしの男の部屋が眼に入った。玄関の靴やサンダルも8日に、はじめて入ったときと変わっていなかった。
「早崎裕允と岩崎真実との関係を証明するものが見つかればいいですね」
と、園町は言いながら、靴を脱いで部屋にあがった。そのあと、高野内も靴を脱いであがった。
高野内たち2人は、手袋をはめた手で、部屋の中を捜していった。
それから1時間近く経ったが、岩崎真実に関係するようなものは、全く見つからなかった。
「空振りか…」
と、高野内は肩を落とした。
すると、園町は、
「高野内さん、がっかりすることないですよ」
と言った。
「園町、何か見つかったのか?」
と、高野内が聞くと、
「いいえ。ただ、一つ引っかかったのは、岩崎真実が妊娠していた件です。もし、早崎裕允がその父親だとすれば、それが彼女との関係になります」
と、園町は答えた。
「なるほど。岩崎真実のおなかの子が早崎裕允の子の可能性があるかどうか、問い合わせてみるよ」
と、高野内は、携帯電話を取り出して、分駐所に電話した。
電話には、桑田警部が出た。
高野内は、桑田警部に、早崎裕允が、岩崎真実の胎児の父親の可能性があるかどうか確認したいということを言うと、桑田警部は、
「わかった。わかり次第折り返し電話する」
と言った。
それからも、高野内と園町は、早崎裕允の部屋の中を捜したが、岩崎真実との関係を証明できそうなものは、何一つ出てこなかった。
時計の針が11時を差した頃、高野内の携帯電話が鳴った。東京駅分駐所からだった。
「はい。高野内の携帯ですが」
と、高野内が電話に出ると、桑田警部からだった。
桑田警部の話によると、岩崎真実の胎児が早崎裕允の子の可能性はないということだった。なぜなら、岩崎真実の血液型はO型だが、胎児の血液型はA型だったという。早崎裕允の血液型はB型だった。したがって、岩崎真実の胎児と早崎裕允との親子関係は否定せざるを得なくなった。
それを聞いたあと、高野内は電話を切った。
そして、電話で聞いた内容を、園町にも説明した。
「残念ながら、早崎裕允と岩崎真実のおなかの子には親子関係はないそうだ。それに、もし仮に親子関係があったとしても、それだけでは、早崎裕允が、岩崎正信をゆする動機が一体何なのかわからないぜ」
と、高野内は言った。
結局、高野内たちは、再度、早崎裕允のアパートに行ったものの、何も収穫を得られないまま、分駐所に戻ることにした。
早崎裕允が岩崎正信をゆする動機は何なのか、そのときの高野内にはわからなかった。
高野内、園町、鶴尾、奈々美の4人は、朝の7時半頃、出勤した。新幹線『のぞみ218号』の車内で、早崎裕允が殺害された事件の捜査のためである。
桑田警部と磯野貴代子、堀西真希も出勤していた。
「早崎裕允に毎月5万円を振り込んだ人物は、長野県松本市に住む岩崎正信という男だとわかりました」
と、高野内は言い、そのあとも、岩崎正信について、知りえた範囲で説明した。
「職業は、工場勤務の作業員で、勤務先は、松本市内の工業団地にあるM工業です」
と、高野内は言った。
「早崎裕允は、岩崎正信という人物の弱みをネタに恐喝していたということかね?」
と、桑田警部が言うと、
「そうだと思います」
と、高野内は、はっきりとした口調で答えた。
「岩崎という男がゆすられるような弱みって、一体何かしら?」
と、貴代子が言った。
「それはまだわかりません。でも、岩崎正信について調べたら、おそらく、何か出てくると、俺は思います」
と、高野内は答えた。
しかし、そのときは、岩崎正信の弱みが何なのか、高野内にもわからなかった。
「岩崎について、さらに調べてみる必要がありそうだな」
と、桑田が言うと、
「はい。私もそう思います」
と、高野内は言った後、
「松本中央署の刑事課が、岩崎や関係する人物について調べなおしています」
と言った。
それからしばらくして、ファックスが届いた。発信元は、松本中央署だった。
ファックスの内容によると、岩崎正信は、63歳。生まれも育ちも長野県松本市だという。現在独身で、過去に結婚していて娘が1人いたが、結婚から8年後、妻が亡くなり、その後、一人で娘を育ててきたが、その娘も、2011年5月に死亡。現在、松本市内で一人暮らし。
なお、勤務先のM工業での評判は、勤務態度はまじめで、上司からも部下からも好かれていて、社内でトラブルを起こしたことはないとのことだった。
桑田警部は、ファックスの送信内容が印刷された紙を見ながら、
「高野内君は、どう思うかね?」
と、高野内のほうを向いて言った。
「娘さんが亡くなった件と、何か関係がありそうな気がします」
と、高野内は、はっきりとした口調で答えた。
それに続いて、
「私も、高野内君の考えと同じです」
と、貴代子が言った。
それを聞いた桑田警部は、
「じゃあ、岩崎正信の娘と早崎裕允との関係について調べてくれ!」
と言った。
そのあと、桑田は、松本中央署に電話をして、岩崎正信の娘の詳細を問い合わせた。
そして、何分か話した後、電話を切って、それから、高野内のほうを向いて、
「もうすぐ、松本中央署が、岩崎正信の娘についての詳細をファックスで送るそうだ」
と言った。
しばらく待つと、ファックスが届いた。
ファックスの内容によると、娘の名前は、岩崎真実(イワサキ・マミ)。死亡時は32歳。岩崎正信の一人娘で、きょうだいはいない。
松本市出身で、地元の高校を卒業後、上京し、東京都内の大学へ進学。卒業後、東京都新宿区にある情報処理関係の会社へ就職し、死亡時まで在職していた。死亡時の住所は、東京都杉並区。死亡日は、2011年5月15日で、自宅アパートの自室で首を吊って死亡していたとのこと。
なお、死亡時、岩崎真実は、妊娠3ヵ月が経過していた。ちなみに、岩崎真実自身は独身で未婚だった。
「これをみて、どう思うかね? 高野内君」
と、桑田は、ファックスの用紙を指差しながら、高野内の向いて言った。
「岩崎真実と早崎裕允との接点があるかどうか、調べてみる必要があると思います」
と、高野内は答えた。
「じゃあ、高野内君、園町君、竹ノ塚の早崎の自宅へ行って、何か手がかりになるものがないか、再度調べてくれ」
と、桑田は言った。
「わかりました」
と、高野内は返事をしたあと、園町と一緒に、覆面車に乗って、足立区竹ノ塚にある早崎のアパートに向かった。運転したのは高野内である。
午前9時半が近づいてきた頃、高野内が運転する覆面車は、足立区竹ノ塚を走っていた。助手席には、園町が乗っていた。
高野内運転の覆面車は、早崎裕允が住んでいたアパートの前に止まった。
そして、高野内と園町の2人は、車から降りて、白い手袋をはめると、早崎裕允の部屋の鍵を開けた。
ドアを開けると、殺風景な一人暮らしの男の部屋が眼に入った。玄関の靴やサンダルも8日に、はじめて入ったときと変わっていなかった。
「早崎裕允と岩崎真実との関係を証明するものが見つかればいいですね」
と、園町は言いながら、靴を脱いで部屋にあがった。そのあと、高野内も靴を脱いであがった。
高野内たち2人は、手袋をはめた手で、部屋の中を捜していった。
それから1時間近く経ったが、岩崎真実に関係するようなものは、全く見つからなかった。
「空振りか…」
と、高野内は肩を落とした。
すると、園町は、
「高野内さん、がっかりすることないですよ」
と言った。
「園町、何か見つかったのか?」
と、高野内が聞くと、
「いいえ。ただ、一つ引っかかったのは、岩崎真実が妊娠していた件です。もし、早崎裕允がその父親だとすれば、それが彼女との関係になります」
と、園町は答えた。
「なるほど。岩崎真実のおなかの子が早崎裕允の子の可能性があるかどうか、問い合わせてみるよ」
と、高野内は、携帯電話を取り出して、分駐所に電話した。
電話には、桑田警部が出た。
高野内は、桑田警部に、早崎裕允が、岩崎真実の胎児の父親の可能性があるかどうか確認したいということを言うと、桑田警部は、
「わかった。わかり次第折り返し電話する」
と言った。
それからも、高野内と園町は、早崎裕允の部屋の中を捜したが、岩崎真実との関係を証明できそうなものは、何一つ出てこなかった。
時計の針が11時を差した頃、高野内の携帯電話が鳴った。東京駅分駐所からだった。
「はい。高野内の携帯ですが」
と、高野内が電話に出ると、桑田警部からだった。
桑田警部の話によると、岩崎真実の胎児が早崎裕允の子の可能性はないということだった。なぜなら、岩崎真実の血液型はO型だが、胎児の血液型はA型だったという。早崎裕允の血液型はB型だった。したがって、岩崎真実の胎児と早崎裕允との親子関係は否定せざるを得なくなった。
それを聞いたあと、高野内は電話を切った。
そして、電話で聞いた内容を、園町にも説明した。
「残念ながら、早崎裕允と岩崎真実のおなかの子には親子関係はないそうだ。それに、もし仮に親子関係があったとしても、それだけでは、早崎裕允が、岩崎正信をゆする動機が一体何なのかわからないぜ」
と、高野内は言った。
結局、高野内たちは、再度、早崎裕允のアパートに行ったものの、何も収穫を得られないまま、分駐所に戻ることにした。
早崎裕允が岩崎正信をゆする動機は何なのか、そのときの高野内にはわからなかった。