10月18日の午後4時過ぎ、高野内と園町は、東京駅分駐所に戻っていた。
 分駐所には、桑田警部、鶴尾、奈々美のほか、スーツを着た初対面の男がいた。年齢は50歳くらいに見えた。
 スーツ姿の男は、弁護士の太田だという。
「岩崎真実が亡くなる2日前、岩崎正信と真実の2人が、太田弁護士と相談していたそうだよ」
 と、桑田警部は言った。
 そして、スーツ姿の男は、
「弁護士の太田といいます」
 と、言いながら、高野内に名刺を渡した。
 名刺には、『太田 康久』という名前が印刷されていた。弁護士事務所の所在地は、東京都新宿区になっている。
「警察の方は、岩崎真実さんが亡くなられた件を自殺の可能性が高いと言っていましたが、私は、腑に落ちませんね」
 と、太田弁護士は、真剣そうな表情で言った。
「その理由を聞かせてもらえますか」
 と、高野内が言うと、
「岩崎真実さんは、父親の正信さんと一緒に、私のところを訪ねられましたが、2人とも、西井紳二を告訴し、損害賠償も請求したいと、強く意気込んでおられました。私も、岩崎さんの依頼に応えるために、必要なことを進めてまいりましたし、こまめに岩崎さんにはそのことを伝えていましたし、岩崎さんも、私に対して、期待感を示していました」
 と、太田弁護士は熱っぽく答えた。
「なるほど。わかりました」
 と、高野内が言ったあと、それに続いて、鶴尾が、
「そのような方が、簡単に自殺するとは思えません」
 と言うと、
「同感だよ」
 と、高野内は言った。
「つまり、岩崎真実さんは、自殺に見せかけられて殺害された可能性が極めて高いということですね」
 と、園町が言うと、
「私には、自殺に見せかけた他殺以外考えられないのですよ」
 と、太田弁護士ははっきりとした口調で言った。
「岩崎真実さんが死亡した件が他殺で、それを父親の岩崎正信が感づいたとしたら、まずは、西井紳二を疑うでしょうね」
 と、奈々美が言うと、
「そうだな。自分の娘が、金をだまし取られたうえ、妊娠もさせられて、さらに自殺に見せかけた殺害までされたら、怒りの感情は言葉だけでは言い表せないぞ」
 と、園町は言った。
「確かに、岩崎正信の西井紳二へ対する恨みの感情は、言葉だけでは表現できないだろうが、罪は罪だからね」
 と、高野内は言った。
 すると、今度は、太田弁護士が、
「もしも、岩崎正信さんが、西井という人物を殺害する行為をしていたら、それは許しがたいことです。しかし、彼は、愛娘を酷い仕打ちで殺された被害者でもあるのです。ですから、岩崎さんが犯行に関わっていていたとしても、その点のご配慮をお願いしたいのですが」
 と言った。
「わかりました」
 と、高野内は返事した。
「では、私は、これで失礼します」
 と、太田弁護士は、分駐所から去った。
 そのとき、時計の針は4時30分に近づいていた。
 それから少し経って、1人の大柄な男が、分駐所に来た。年齢は50代半ばくらいだろう。その男もスーツ姿だった。
「何かご用でしょうか?」
 と、高野内が、男に聞くと、相手は、警察手帳を出した。
 そして、
「杉並西署刑事課の警部の江沢(エザワ)といいます」
 と名乗った。
「どうぞ。中へお入りください」
 と、高野内は、江沢警部を分駐所の中に入れた。
 それから、江沢警部は、高野内、園町、桑田警部や鶴尾、奈々美のほうへ眼を向けながら、
「遅くなってすみません。一昨年の岩崎真実が死亡した件と西井紳二が結婚詐欺をしていた件で、お話にまいりました」
 と言った。
「岩崎真実は自殺に見せかけられて殺害されたのですよね」
 と、高野内が、確認するように言うと、
「はじめは、自殺の可能性が高いとみていましたが、後で他殺の疑いも出てきました」
 と、江沢は答えた。
 それに続いて、
「杉並西署が、本庁の捜査二課とともに、調べた結果、西井紳二が岩崎真実に対して、偽りの婚約をしていたうえ、多額の現金を貢がせていた可能性が高いことがわかっています。また、岩崎真実以外にも、都内や神奈川、埼玉、千葉で同様の被害に遭った女性がいることも確認できました」
 と言った。
「典型的な結婚詐欺師ですね」
 と、奈々美は言った。
「そのとおりだよ」
 と、江沢は言った。
 すると、今度は、高野内が、
「どうして、西井紳二やその共犯者を逮捕できなかったのですか?」
 と、怪訝そうな表情で言った。
 すると、江沢は、
「杉並西署も、被害者の岩崎真実さんや父親の岩崎正信さんから、何度も相談を受けたのだが、詐欺罪や殺人罪とかで、西井を逮捕するための証拠が乏しかったんだよ」
 と、元気のなさそうな声で言った。
 それに続くように、
「そのせいで、岩崎真実さんが、自殺を装った殺害をされたのです。恥ずかしながら、私の不手際のせいで」
 と言った。
「そのあと、杉並西署では、どのように捜査されたのですか?」
 と、今度は、園町が言うと、
「岩崎真実が死亡したと思われる2011年の5月15日から5日後、つまり、20日に、捜索令状をとって、本庁捜査二課の捜査員と一緒に、西井が経営していた会社の捜索に行ったのだよ。奴の会社を捜査して、容疑が固まり次第、逮捕しようと考えていたんだ。しかし…」
 と、江沢は言った。
「しかしといいますと?」
 と、高野内が言うと、
「捜査員が着いた頃には、西井の会社の入っていたところはもぬけの殻になっていたんだ」
 と、江沢は答えた。
「西井のほうが先手を打って逃げたわけですね」
 と、高野内は言った。
「そのあと、我々は、西井が住んでいた東久留米市の賃貸マンションの捜索も試みたが、そこも、我々が着いたときには、もぬけの殻だったよ」
 と、江沢は、残念そうな表情で言った。
 今度は、桑田警部が、
「西井の会社は、はじめから女性をだますためのダミー会社だったのですね」
 と言うと、
「そうでしょう」
 と、江沢は言ったあと、
「でも、従業員に給料は支払っていたそうですね。西井の会社が入っていたビルがもぬけの殻になったとわかったあとも、4人いた従業員に任意で事情を聞いたら、みんな、いつもと同じように出勤したら、会社がもぬけの殻になっていたと驚いていたそうです」
 と言った。
「西井の会社は、情報産業だと聞いたのですが、具体的にはどのようなことをやっていたのですか?」
 と、桑田は聞いた。
「インターネットニュースの記事を印刷したものや、新聞の切り抜きをして、項目別にスクラップブックに貼る作業をしていたそうです」
 と、江沢は答えた。
 すると、桑田は、
「そんなことしても、カネになるとは思えないから、やっぱり、女性をだまして信用させるためのインチキ会社に間違いないですね」
 と、はっきりとした口調で言った。
「じゃあ、従業員に支払ってた給料は、どこから捻出したのでしょうか?」
 と、今度は、鶴尾が、怪訝そうな顔で言った。
「だから、多数の女性からだまし取ったカネからだろう」
 と、江沢は言った。
「西井紳二という男、ますます許せませんね」
 と、今度は、奈々美が腹立たしそうに言った。
「そうだろう。私だって、西井は許せない。その西井も殺されたが、奴には同情できない。だが、どんな悪い奴でも、殺されていい人間はいない。刑事は、殺人を容認するわけにはいかないんだ」
 と、江沢は、自分が思ったことを抑えきれないような言い方をした。
 すると、今度は、高野内が、
「私も同感です。西井紳二と共犯者の広塚貴明を殺害したホシも誰かがは、既に見当がついています。しかし、ホシには、アリバイが成立していて、まだ崩せていません」
 と、はっきりとした口調で言った。
「ホシは、岩崎真実の父親の岩崎正信だね」
 と、江沢が確認するように言うと、
「そうです」
 と、高野内は言った。
 それに続いて、今度は、桑田警部が、
「我々は、そのように睨んでいるのですが、私の部下が申したとおり、まだホシのアリバイが崩せないから、捜査が難航しているのです」
 と言った。
「わかりました。では、私は、これで失礼します」
 と、江沢は、会釈した後、分駐所をあとにした。

 時計の針が午後5時を差していたとき、東京駅分駐所では、事件の捜査に関する話し合いが行われていた。
 対象になっている事件は、2011年に、岡山駅と新千歳空港で発生した殺人事件と、2013年になって、『のぞみ218号』の車内で発生した殺人事件である。
 いずれの事件も、ホシは、岩崎正信だと睨んでいる。
 しかし、岩崎正信には、いずれの事件にも、アリバイが成立したままだった。
 結局、アリバイを崩す糸口が見つからないまま、高野内たちは、夜の9時頃、退勤した。