浜崎ヒカルのブログ推理小説

ブログを利用して推理小説を書いています。 鉄道ミステリーが中心になります。

2023年06月

 3月28日の昼の12時半頃を過ぎた頃、1台の覆面パトカーが、サイレンを鳴らしながら、和歌山県警本部から出発した。
 和歌山市街地の和歌山城近くにある県警本部から出た覆面パトカーは、国道42号線、国道26号線を北上し、一級河川の紀ノ川の少し手前の交差点を右折し、国道24号線を東へ進んだ。
 覆面パトカーには、和歌山県警捜査一課の玉置和紀(タマキ・カズノリ)警部と、玉置の部下で巡査部長の雑賀(サイカ)刑事が乗っていた。
 運転していたのは、雑賀である。
 玉置は50歳で、捜査一課配属になって10年近く経つ。
 雑賀は43歳で、昨年の春に、捜査一課配属になった。
 玉置と雑賀の2人は、和歌山線の列車で、乗客が死亡しているという、JRからの通報を受けて、その列車が止まっている下井阪駅に向かって急行していた。
 なぜなら、殺人の可能性も否定できないからである。
 雑賀が運転していた覆面パトカーは、国道24号線をしばらく東へ走り、午後1時より少し前に、下井阪駅前に到着した。
 小さな駅の前には、既に多数のパトカーが赤灯を点けて止まっていて、駅の入口には規制線が張られていた。
 玉置と雑賀は、覆面パトカーから降りると、駅の入口に立っていた制服の警察官に警察手帳を見せて、駅のホームに入った。
 下井阪駅は、駅舎はなく、ホームが1本だけの無人駅である。
 そのホームの横には、2両編成の電車が止まっていた。
 行き先は王寺だった。
 玉置と雑賀は、先頭の車両のドアから車内に入った。
 車内には、乗客のほか、機動捜査隊の刑事、所轄である岩出中央警察署の制服警察官、鑑識員、所轄の刑事課の刑事などがいた。
「ご苦労さん」
 と、玉置は、車内にいた警察官たちに一声かけて、
「そのホトケさんの身元はわかったのか?」
 と、所轄の刑事に聞いた。
 20代後半くらいに見える若い男性刑事は、
「所持していた身分証明書などから、被害者は、東京都世田谷区に住む高沢レナ(タカザワ・レナ)さんのようです」
 と答えた。
「えっ、タカザワ・レナさん?」
 と、雑賀は、驚いたような声を出した。
 すると、玉置は、
「雑賀君、知っとるのか?」
 と聞いた。
「警部、ご存じないのですか? 今、人気上昇中のタレントですよ。息子がすっかり大ファンになりましたね」
 と、雑賀は答えた。
「俺は、最近の若い芸能人には疎くてな」
 と、玉置は苦笑いしたあと、
「まさか、和歌山線で若いタレントのご遺体に対面するとか思わんかったな」
 と言った。
「それで、高沢レナは、この電車に一人で乗っていたのか?」
 と、所轄の刑事に聞くと、
「ほかの乗客の証言から、そのようです」
 と、若い刑事は答えた。
「その被害者の死因は何やね?」
 と、今度は、玉置が聞いた。
「遺体を調べてみないと、詳しくはわかりませんが、青酸死と思われます」
 と、所轄の刑事は答えた。
「で、そのホトケさんが亡くなっとるのに、最初に気づいたのはどなたやろか?」
 と、玉置が聞くと、所轄の刑事は、
「谷崎恵美子(タニサキ・エミコ)さんとゆう、57歳の女性の乗客です」
 と言いながら、中年過ぎに見える女性のほうへ目を向けた。
 玉置は、その女性に近づきながら、
「あなたが、その女性が亡くなっとるのに、最初に気づいたのですね」
 と、入念そうに聞くと、
「そうです」
 と、恵美子は答えたあと、
「その方は、私の右隣に座っていたのですが、この電車が岩出駅を出たあと、私に寄りかかってきて、そのあと崩れるように床に倒れていったのです」
 と、説明するように言った。
「それで、そのあと運転士に知らせたのですね?」
 と、玉置が念入りに聞くと、恵美子は、
「そうです。顔色が変わっていたし、息しとるようにも見えなかったのです」
 と言った。
「それで、谷崎さんは、どちらまでこの電車に乗る予定やったのですか?」
 と、玉置が聞くと、恵美子は、
「それは、ほかの刑事さんにも言いましたけど、粉河までですわ。粉河駅で紀の川市に住んでる友達と会って、粉河寺へ桜を見に行く予定でした」
 と、やや不快そうな顔で答えた。
 ほかの警察官からも、何度も似たような質問をされたのだろう。
 玉置は、所轄の若い刑事に、
「谷崎さんは、この電車には、どの駅から乗られたのかな?」
 と聞いた。
「和歌山駅からだそうです。ちなみに、お住まいも和歌山市ですね」
 と、所轄の刑事は答えた。
「で、被害者の高沢レナは、どうゆう理由で、この電車に乗ってたんやろうか?」
 と、玉置が言うと、
「被害者の所持品から、西国三十三箇所の巡礼かもしれませんね」
 と、所轄の刑事は言いながら、手袋をはめた手で、レナのものと思われるハンドバッグを持って、玉置に見せた。
 玉置も、手袋をはめてハンドバッグを開いて、中身を確認した。
 ハンドバッグの中には、西国三十三箇所巡礼の納経帳が入っていた。
 その納経帳を開くと、第一番札所である那智山・青岸渡寺の御朱印と、第二番札所の紀三井山・金剛宝寺(紀三井寺)の御朱印を受けていたことも、確認できた。
 御朱印の横には、受けた日付も墨で書かれていて、青岸渡寺の御朱印は23年3月27日、金剛宝寺の御朱印は23年3月28日のものだった。
「ホトケさん、昨日は那智山行って、今日はこの電車に乗る前に、紀三井寺へ行ってたようやな」
 と、玉置は言った。
 ほかには、財布や自宅のものと思われるカギ、スマートフォン、芸能プロダクションの身分証明書、化粧品数点、コインロッカーのカギなどがあった。
 財布には、キャッシュカードやクレジットカードのほか、現金が8万円あまり入っていた。
 また、ハンドバッグには、JRの乗車券もなども入っていて、改札印の入った和歌山から420円の乗車券のほか、未使用の粉河から東京までの乗車券と、特急『くろしお24号』の和歌山から新大阪までの特急券、新幹線『のぞみ434号』の新大阪から東京までの特急券があった。
 所持していた乗車券や特急券は、いずれも3月28日の日付のものだった。
 特急券は、普通車指定席のものである。
「高沢レナは、粉河寺に行ったあと、この和歌山線で和歌山駅まで引き返して、今日の特急『くろしお』と新幹線『のぞみ』で東京へ帰る予定だったんやな」
 と、玉置は、乗車券や特急券を見ながら言った。
 それから間もなく、機動捜査隊の刑事の一人が、玉置の前に来て、
「乗客たちが、いつまでここで足止めしているんだと怒っています」
 と言った。
「この電車の乗客の住所や氏名は確認したのか?」
 と、玉置が言うと、
「はい。今、この電車内にいる乗客については、全員確認しました。所持品検査にも協力してもらいましたが、不審なものは見つかっていません」
 と、機動捜査隊の刑事は答えた。
 それから少し経つと、平岡という、50代後半くらいにみえる運転士の男性が、玉置のそばに来た。
 平岡運転士は、困惑した顔で、
「刑事さん、いつまで、ここに停車してたらいいんですか。いつまでもこの駅に止まったままやと、後続列車だけやなく、対向列車も走れへんのですよ」
 と言った。
 和歌山線は単線で、下井阪駅は、すれ違いや追い抜きができない駅である。
「わかりました。これから、被害者の遺体と所持品を、所轄の岩出中央署へ運びます。運転士さんは、この電車を次の打田駅まで走らせて、乗客たちを降ろして、別の電車に乗り換えてもらってください」
 と、玉置は言った。
「そのあと、私は、どうしたらいいんですか?」
 と、平岡運転士が言うと、
「乗客を降ろしたあと、車庫へ回送してもらいたいのですが」
 と、玉置は答えた。
 そして、高沢レナの遺体は、担架にのせられて、ワンボックス型の警察車両で、岩出中央警察署へ運ばれた。
 そのあと、2両編成の列車は、次の打田駅へ向かって、ゆっくりと動き出した。
 玉置と雑賀も、覆面パトカーに戻り、岩出中央署へ向かった。

 23年3月28日、12時15分、和歌山県にある和歌山線の岩出駅を王寺行きの普通列車が定刻通りに発車した。
 その列車は、2両編成のワンマン運転で、227系というステンレス製の車体に緑色などの帯が入った電車が使用されている。
 その電車の運転席では、運転士の平岡(ヒラオカ)が、前方の安全確認を繰り返しながら、列車を走らせていた。
 平岡は59歳の男で、電車の運転士になって35年以上経つベテランである。
 岩出駅を出た列車は、次は、下井阪駅に停車する。
 その日は、沿線の桜の花がほぼ満開で、天気も良かったのか、日中にしては乗客が多かった。
 列車が、下井阪駅に近づいたとき、突然、車内から悲鳴が聞こえた。
 まだ列車は走行中なので、車内へ目を向けることができないが、尋常な様子ではなかった。
 列車が下井阪駅に停車すると、安全確認をしたあと、乗降用のドアを開けた。
 その矢先、乗客の中年過ぎの女性が、
「運転士さん、大変ですよ!」
 と、大きな声を出しながら、駆け寄ってきた。
「どうされましたか?」
 と、平岡運転士が聞き返すと、
「若い女の人が、急に倒れたのです」
 と、その女性は答えた。
「確認させてください」
 と、平岡は、やや大きな声で言ったあと、運転席から立ち、車内に目を向けた。
 すると、20歳前後に見える女性が、電車内の床に倒れているのが、目に入った。
 その女性は、ベージュ色の薄手のコートを着ていて、ジーンズを穿いていた。
 ほかの乗客たちも、不安そうな顔で、倒れている女性を見ていた。
 平岡は、その女性に、
「お客様、どうされましたか? 大丈夫ですか?」
 と、声をかけた。
 しかし、何の反応もなかった。
 顔色も皮膚の色も変わっていた。
「運転士さん、まさか、その女の人、死んでるのですか?」
 と、近くにいた年配の男性客の一人が、蒼い顔で言った。
 平岡には、その若い女性はすでに死亡しているように見えた。
 しかし、「死亡しています」と答えるのは躊躇った。
 乗客がパニックを起こす可能性があるからである。
「運転士さん、どうするのですか?」
 と、今度は、別の女性客が言った。
 すると、平岡は、
「これから、警察に連絡します。お客様には申し訳ありませんが、しばらく、車内にとどまっていただけますか!」
 と、はっきりとした口調で言ったあと、運転席に戻り、乗降用のドアを閉めて、無線で警察に来てもらうように連絡した。
 それから、10分足らずで、パトカーなどが何台か、サイレンを鳴らしながら、下井阪駅の前に来た。
 下井阪駅は、住宅が建ち並ぶ田園地帯にある小さな無人駅で、普段の乗降客はそれほど多くないが、駅には大勢の警察官が入ってきて、駅周辺は騒然としてきた。
 警察官が、平岡運転士に、列車のドアを開けてほしいと告げると、先頭車両の乗降用のドアを開けた。
 制服の警察官や鑑識員などが、次々と入ってきた。
 それから少しあとには、機動捜査隊の刑事も来た。
 2両編成の列車は、下井阪駅からしばらくは動けないだろう。

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