12月3日の午後8時過ぎ、高野内と園町は、ボストンバッグを片手に、分駐所を出て、東海道新幹線ホームへ向かった。
 改札を通り、19番ホームへ行き、列車の入線を待った。
 しばらくすると、20時30分発の『のぞみ97号』岡山行きが入ってきた。岡山へ行く新幹線の中では、最終列車である。
 高野内と園町は、森本愛子がアリバイトリックに使った行動を再現するために、岡山へ向かっている。岡山で、上り『富士』『はやぶさ』の併結列車に乗るつもりなのは、いうまでもない。
 23時56分、『のぞみ97号』が、終点の岡山に着くと、在来線連絡口を通り、14番ホームへ向かった。
 岡山は、県庁所在地でもある60万都市の岡山市の代表駅であり、山陰や四国方面への乗換駅という役割もあるので、地方都市の駅にしては、規模が大きい。
 在来線部分は、橋上化されていて、窓口や改札口のほか、店舗が入居しているが、深夜なので、閉店していた。
 高野内と園町は、橋上駅舎を通り、階段を下りて、14番ホームへ入った。
 上り『富士』『はやぶさ』が入線するまで、かなり時間があるので、高野内と園町は、ベンチで腰を下ろした。
「あの人を疑わなければならないのは、なんか辛いですね」
 と、園町が言うと、高野内は、
「俺も、あのかわいらしい感じの女性を犯人扱いしたくないよ。彼女は、大事な婚約者を、心無き者によって、死に追いやられたからな。でも、あの人は、犯罪事件の容疑者であることには変わりない。刑法犯罪が起きた以上、容疑者を捕まえて、罪を償ってもらう方向へ進めるのが、俺たちの使命だからな」
 と、堂々とした態度を見せながら言った。しかし、辛い気持ちがあるのを隠し切れていないせいか、
「そういう高野内さんも、本当は、森本さんを捕まえるのは、気分的にすっきりしないんでしょう」
「まあ、そう言われれば否定できないな…」
 時間は経ち、ホームの時計は、0時46分になった。日付は、12月4日。
 下関方向へ目を向けると、遠方から、光が近づいてきた。ヘッドライトの光のようだ。
 それは、電気機関車に牽引された寝台特急列車だった。
 『富士』『はやぶさ』の併結列車である。列車は、14番ホームに横付けされた。
 高野内と園町は、ベンチから立ち、一番後ろの客車から、車内に入った。1号車で、開放式の2段ベッドのB寝台車である。
 列車は、2分後の0時48分に発車した。深夜なので、案内放送を停止していた。
 高野内と園町は、空いた寝台の下段ベッドに腰を下ろして、進行方向左側の窓の外を眺めていた。
 岡山は、駅付近の中心市街地は、地方にしては、ビルのネオン看板などが多いが、まもなく見えなくなり、窓の外は、暗闇になった。
 まもなく、車掌がやってきた。JR西日本の制服を着た、中年過ぎの人だった。
「恐れ入りますが、切符を拝見させていただきます」
 と、車掌が言うと、高野内と園町は、警察手帳を見せて、
「鉄道警察隊の者ですが、捜査のために乗車しています」
 すると、車掌は、少し驚いたような顔で、
「そうでしたか。なにかあれば、私も協力させていただきますが」
「できれば、個室を利用したいのですが、空いていますかね?」
「申し訳ありませんが、個室寝台は、すべて満席です。2段ベッドのほうは、各車両に空いた席がありますので、ご自由に使われて構いません」
「わかりました」
 と、高野内が言うと、車掌は、去っていった。
 高野内と園町は、そのまま腰を下ろすことにした。
 列車は、暗闇の中をひたすら走っていく。
 途中、大阪と米原では、乗務員交代のための運転停車があった。
 5時16分、岡山の次の停車駅である、名古屋に停車した。冬で、日が短い時期のため、まだ外は暗い。中部地方一の大都市、名古屋市の代表駅であるが、早朝のせいか、ホームの客はわずかだった。
 5時19分、列車は、名古屋駅を発車した。次の停車駅は、浜松である。
 高野内と園町は、下段ベッドに座ったまま、窓の外を眺めていた。
 6時25分頃、高野内と園町は、ベッドから立ち、ジャンパーを脱いだ。
 そして、ボストンバッグに入れていた帽子と黒いコートを着用し、サングラスをかけて、他の車両に移動した。
 後ろから4両目の車両のデッキに入ったとき、列車がホームに横付けしようとしているのが、目に入った。
「よし、この車両から降りよう」
 『富士』『はやぶさ』併結列車が、定時の6時30分に、浜松駅のホームに横付けされると、高野内と園町は、急いで列車を降りた。
 そして、新幹線改札を通り、上り新幹線ホームへ向かった。
 新幹線ホームでしばらく待つと、『ひかり430号』入線の案内放送があった。発車時刻は、6時57分。
 『ひかり430号』が入線すると、高野内と園町は、自由席車両に乗り、空いた席に座った。
 新幹線『ひかり430号』は、途中、静岡に停車したあと、品川には、8時9分に到着した。
 品川駅で、新幹線を降りた、高野内と園町は、山手線ホームへ向かった。
 そして、8時19分発の外回りに乗った。平日の朝なので、混雑していた。
 電車は、大崎、五反田、目黒、恵比寿、渋谷、原宿、代々木の各駅に停車し、新宿には、8時38分に到着した。新宿では、多くの乗り降りがあった。
 電車を降りたあと、高野内は、
「さっきの山手線が、新宿に着いたのが、8時38分で、問題の通勤特別快速が入線するのが8時55分だから、十分間に合う」
 高野内と園町は、中央線快速の入線するホームへ行き、事件があった列車と同じ、724T通勤特別快速が入線すると、前から2両目の車両に乗った。
 先頭の女性専用車は、比較的空いているが、他の車両は、かなり混雑していた。特に2両目の車両の混雑が激しい。
 高野内と園町は、貫通路の扉のガラス越しに、女性専用車の様子を眺めていた。
「あれが、1日に事件があった車両ですね。それにしても、マナーがひどいですね」
 と、園町は、あきれたような顔になった。
 確かに、車内で化粧したり、飲食したり、携帯電話をかけまくっている乗客が多かった。
「異性がいないのをいいことに、リラックスしすぎたんだな」
 高野内は、苦笑した。
「ひょっとして、住川光恵も、車内で化粧したり、飲食する習慣があったのではないでしょうか?」
「俺もそう思うし、森本愛子も、それを知っていたんじゃないかと思う。だから、バッグに毒針の刺さったコルク玉を忍ばせる方法を使ったのだよ。それに、女性専用車の車内だと、リラックスしすぎて、警戒心がほとんどなくなっているだろうし」
「そして、バッグに凶器を忍ばせた森本愛子は、次の四ツ谷で降りたわけですね」
「そのとおり」
 9時頃、通勤特別快速は、四ツ谷に停車した。
 高野内と園町は、四ツ谷で降りると、JRの改札を出て、東京メトロ丸の内線乗り場へ向かった。
 そして、9時12分発の池袋行きの電車に乗った。
 電車は、9時23分に、東京駅に到着した。
 東京駅に着くと、地下鉄の改札の外に出て、再びJRの改札内に入った。
 そして、10番ホームへ向かった。
 9時58分が近づいた頃、ホームのアナウンスが、
「まもなく10番線に到着の列車は、当駅に停車ののち、車庫に回送となります。ご乗車になれません」
 と告げた。
 それからまもなく、青い電気機関車に牽かれた青い客車の列車が近づいてくるのが見えた。
 『富士』『はやぶさ』の併結列車である。
 10番ホームに横付けし、ドアが開くと、乗客たちが降りてきた。
 高野内と園町は、車掌室から比較的はなれた4号車のドアから、降りてくる客と強引にすれ違いながら、車内に入った。
 そして、最後尾の1号車へ行き、変装を解いて、ジャンパーに着替え、コートや帽子やサングラスは、バッグにしまった。
 それから、バッグを持って、1号車のドアから降りた。
 ドアの横の車掌室では、車掌が、乗務員窓を開けて、様子を確認していた。
 高野内は、
「車掌さん、私たち、実は、途中下車したのですけど、わかりましたかね?」
 と聞くと、車掌は、驚いた表情で、
「えっ、どこで降りられたのですか?」
「ある捜査のためですけど、途中の浜松で降りて、新幹線で、東京へ行って、さっき、また車内に戻ったのですよ。本当に気づかなかったのですか?」
「ええ。気づきませんでした」
 それを聞いた高野内と園町は、
「そうですか。わかりました。ご協力ありがとうございました」
 と言って、『富士』『はやぶさ』の止まっているホームをあとにして、分駐所に戻った。
「これで、森本愛子にアリバイが成立しないことが証明されたな」